2014-07-21
遺すもの NO 3901
シーンのブログ「会長のコラム」を久し振りに更新しておいた。結婚披露宴と葬儀の司会の両方で禁句となっているのによく使われている言葉の指摘や、「一般」という文字や言葉の響きがサービス業では使うべきではないと問題提起をしておいた。
ご興味があればトップページから「シーン」のページへどうぞ。
ア メリカの俳優「ジェームズ・ガーナー氏」の訃報ニュースがあった。映画「大脱走」に出演されていたが、「墓石と決闘」という映画で「ワイアット・アープ」 を演じていたことやテレビドラマの「ロックフォードの事件メモ」でお父さん役の人物とのやりとりに独特の味があったのが印象に残っている。
人は何時か亡くなってしまうが、作曲家は「旋律」を残し、作詞家は「詩」を残すし、俳優は演じた映画の作品を残すのだから生きた証になるようで幸せである。
葬儀の司会の中で喪主さんの謝辞をフォローする際に、時折に使っていた言葉があった。それは次の言葉である。
「ある高僧が説かれたことで印象深いお言葉がございました。人の死は2回あり、1回目はお通夜や葬儀が行われる『死』。2回目こそ本当の意味での『死』で、その方を知る最後のお一人がこの世を去る瞬間であり、それまでは皆様のお心の中で生きて・・・」
そんな言葉を書いたら、友人のブログにそのことに関して「有名人はいつまでも死ねないことになる」との記事がアップされていて考えさせられた。
ネット社会になって死を迎えたらSNSに関する整理をどうするかという問題も討議されているが、こんなブログみたいなものを発信されている人も多いし、10年以上続けて来た歴史の中で何度か入院したこともあり、病室から発信したことも忘れられない思い出となっている。
毎日続けていて途切れると「入院でも?」なんてメールや電話があるので大変だし、不自由になりつつある目も心配だが、指先のリハビリだと思いながら生ある内は続けようと思っているが、最近は知人や友人など身近な人が亡くなられることが多いので寂しい心情になっている。
戦後生まれの団塊世代は多いし、第二次ベビーブームとなった子供達の時代も過ぎ、今は少子高齢社会が到来してしまっており、都会の小中学校では生徒数の激減から統合や廃校という話が表面化していることが多い。
卒業生の存在がある以上、その人達の歴史の一ページを消し去ることにもなるので寂しい問題もあるし、これから行政はこの問題にどのように対峙するのだろうかと心配している。
深いご仏縁のある方のお通夜に参列。ご一緒にラウンドしたことも思い出しながら手を合わせたが、合同葬という形式で数百のご供花が並ぶ中、ご多数の弔問者があられたが、喪主を務められたご長男のご謝辞の内容が素晴らしく、皆さんが感銘を受けておられたのが印象に残った。
今日の写真はある鉄板焼きの店で体験したもの。パフォーマンスは嫌いだが、エンディングのパフォーマンスがこれだった。鉄板の上に塩で反対側から文字を書いたものだが、随分と練習したのだろうと想像した。