2014-11-04

花を愛で  NO 4002


アメリカで不治の病に侵されていた若い女性が自ら死を選択した。50州存在するアメリカ国内でそんなことが認められているのは5州だけだが、医師から致死量分の薬剤を服用して本人が選択した行動であった。

延命治療の可否、末期がんの患者の尊厳死をどのように考えるか、ホスピスの存在が今後は増えるのかなど問題が山積することだが、宗教観、倫理観、個人の自由、ということも複雑に絡み、人間の命の重さが計り切れない現実の壁があるとも言えるだろう。

ポルポトやヒトラーなど世界の歴史に残る独裁者が虐殺行為に走った行動は、それこそ「人命軽視」で、多くの悲しい人達を生んだが、時代が進化して国家の議会がこの問題に「法」に関して取り組むことが果たして正しいのだろうかと疑問を抱いている。

宗教法人に関する医療施設でホスピスを併設しているところもあるし、浄土真宗本願寺派がつい最近に延命治療、」救命治療、生き切る治療医療に関するありかたを世に提起されたことは意義深いと思った。

こ れまでに大手術を受けたし、大病を患ったこともあり、何より10回の入院体験と転院を含めると12階も入院を体験しているところから、闘病生活の中でベッ ドに横たわって白い天井を見つめていると自身の過去、現在、未来について日頃に気付かない観点から考えさせられた体験が出来る。

そんな体験だから友人達から「患者評論家」になれと笑われているが、安楽死や尊厳死を法律で論じるべきではないと著書に書いたのは40年近く前のことで、議題になってはまとらずに何度か繰り返されて来た問題であった。

弊社が加盟する「日本トータライフ協会」のメンバー研修会でも何度か討議したこともあったが、その時に参考書物として選択したのがデヴィッド・ケスラーの「死にゆく人の17の権利」で、印象深いテーマとなってみんなで研鑽したものである。

臨終を悟った時、「人は何を後悔するのだろうか?」「何が心残りになるのだろうか?」というテーマを書いた書物も登場したが、医療現場で看取りに携わった立場から指摘されたそれらは考えさせられる内容であった。

私 の余命も短いだろうと覚悟しているが、今この世に存命しているのは何度も書いた「たい」という欲望があるからで、「生きたい」「会いたい」「見たい」「食 べたい」「聴きたい」などは晩節で最も必要なもので、それが失せてしまって「生きたい」から「逝きたい」になれば終焉を迎えることになる。

心の中に茫漠と広がる人間特有の欲望意識は、死の瞬間を迎えるまで続くとも言われ、それが希薄して心身の終焉となるだろう。

あるサプリメント飲料のCMを観ていたら、「1日を120%生きています」と発言していた女性が登場したが、「生かされています」という謙虚な考え方になると人生観が大きく変わることは事実である。

今日の写真は「広島 ピピ」の写真を拝借。「まゆみ」という名の花で、この木から弓を作ったという話もあるそうだ。
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