2014-12-15
ご仏縁 NO 4043
高架になる前に西田辺交差点から安孫子筋を南へ向かうと、長居駅の手前に踏切があったが、ここは有名な「開かずの踏切」として知られていた。
すぐ東側に長居公園があり、大きな競技場もあるが、林の中にお寺が管理されている葬祭専門式場があり、昔はよく利用したので懐かしい。
前号で故人が作詞作曲したレコードのことに触れたが、その後に「ゴルフわからない節」という曲にも携わっておられたことも書いておこう。
さて、私が初めてこの人物の葬祭店を訪れたのは若かりし頃だった。すぐに「栄ちゃん」と呼ばれて可愛がられるようになり「五人会」の結成に至ったのだが、この店の当時の番頭さんのことが印象に残っている。
当時では珍しく大卒の人物で、大手葬儀社から転職されていたのだが、立派な髭を蓄えた風貌は見るからに威厳があり、私に葬儀の見積もりについて目の前で実演して教えてくださったことがあった。
こ の人物の特技の一つに卓越された書道の世界があり、奉書の巻紙のまま筆で墨書きをされるのだから驚く。当時は大半がご自宅で行われていた葬儀だが、依頼が あって参上され、玄関から廊下や祭壇を飾る部屋の間口や天井の高さを確認後、巻紙のまま見積もりを書き始める仕種にご遺族がさぞかし驚嘆されただろうと想 像する。
葬儀に「五人会」の供花があったが「五人組」と書かれていたので中国の文化大革命のことを彷彿してしまった。
業界の若い人達の姿があったが、私が最後の生き残りになる事実を知る人達も多かったの「次は私の番なのでよろしく」と託しておいた。
現 在の瓜破斎場が改築される前、キリスト教の教会みたいなイメージの式場があった。そこであるお客様の葬儀を担当していた時、開式30分前頃に霊柩車で今日 の人物が入場され、「栄ちゃん、今日の司会はあんたか?」と確認され、「そうです」と答えると「中で聞かせて欲しい」と入られた。
当時の大阪の葬儀の司会は「絶叫型」「泣き節調」「駅のアナウンス型」が主流だったが、私が担当した葬儀が終わると「新風が吹くな。新型や。アナウンサー型や。これからはこれや!」と言われた言葉が印象に残っている。
前 述の林の中の葬祭式場で行われていた社葬に、看板を目にした人物が興味を抱いて会葬者に紛れて見学にやって来ていた。その人物は葬儀の司会をしていた人だ が、衝撃を受けられて私のクローンになろうとずっと努力されたとブログに書かれていたのを知ってびっくりしたこともある。
目が不自由になると不便なことが多い。擦れ違った人から声を掛けられても何方か分からないこともあるし、ちょっとした段差に躓くことになるので気を付けているが、下に向かうエスカレーターは落下すると他人を巻き込む危険性があるので出来るだけ利用しないようにしている。
耳鳴りは随分前から出ていたが、最近はその奥で動悸の音が聞こえるので気持ちが悪い。どうやら三半規管に障害が発生しているみたいだが、薬で対処するしかないようだ。
人 を送って自分が送られる日が必ずやって来る。そんな観点からすると人間の死亡率は100%であることに気付く。最近は平均年齢ということよりも「健康年 齢」という言葉が目立って来ている。テレビ番組に健康と旅に関する内容が増えたが、「終活」という切り口はあっても「あの世の旅」に真剣に取り組む番組は 皆無である。
今日の写真は前号と同じ長居駅を。西口が撮影されたものである。