2014-12-23
体験談から NO 4051 投
この仕事に従事した頃の社会と現在では全く変化してしまっており、土着していた習俗まで稀薄している現実に驚きを新たに感じている。
携帯電話なんてない時代、その前はポケットベルだが、それが登場するまでは夜間や休日時の社員への緊急連絡は家庭電話しか方法はなく、何処かへ家族で出掛ける時には数時間おきに事務所へ電話連絡を入れて貰う苦労もあった。
お客様から掛かって来る電話への対応も大変で、転送電話システムが登場した時は心から歓迎して導入したものだが、入浴している浴室で対応しなければならないこともあり、寒い時期は脱衣場にストーブの準備が欠かせなかった。
大規模な葬儀社なら当直制で24時間営業だったが、一般的な街の葬儀社が大半の時代で、そんな当時の苦労話を聞いたことも多い。
銭湯好きなところからよく出掛けたが、女将さんから「奥さんから電話で早く戻るように」と伝えられたことが何百回あっただろうか。銭湯に出掛けている時間は30分弱だが、年々にその回数が増えたところから「カラスの行水」みたいな入浴法になってしまった歴史がある。
当時は深夜でも事務所に葬儀の依頼に来られるケースも少なくなく、人前に出られる服装がいかに早く出来るかというのも重要な対策の一つだった。
この服装について忘れられないことがあるので紹介をしよう。新鮮を迎える度に思い出すのだから忘れられない出来事なのだが、12月31日、NHKの紅白歌合戦が終わって「行く年来る年」の放送が始まった頃にインターホンが鳴り、誰かが来られたことを知った。
急いで扉を開けるとすぐ近くの顔馴染みのおじさんで、「兄ちゃん。弟が亡くなったのでこらから病院へ行くけど、電話するから頼むわ」と停めてあったタクシーで行ってしまった。
毎年ご不幸を迎えられた方々と共に新年を迎えているが、年末に「ご遺族」と呼ばれる立場になられた方々はお気の毒そのもので、年末と新年だけは近所の方々のこともあり避けたいと願っていてもこれだけはどうしようもなく、その時も数軒のお客様を担当していた。
「こ れでもう1軒お正月に」と思いながら着替えてネクタイを結び、何時電話があっても飛び出せるように態勢を整えたのだが、それから夜が明けても電話掛かって 来ることはなく。きっと病院と提携している業者が担当したのだろうと想像しながら心の整理をしたのだが、その方から電話があったのは1月3日のこと。結果 として1月5日の葬儀で遠方の地域会館で行われることになったが、その人物が電話で仰ったことは次のような事情だった。
「亡くなったと思って病院へ行ったら、危篤状態で今日まで頑張ってくれていたのや。もうあかん、もうあかんと皆で話し合いながら、あんたに電話をすることをコロッと失念していたのや。正月早々やのに悪かったなあ」
今日の写真はご仏縁に結ばれる函館の水引アート作品の会社「清雅舎」を。「函館便り」が更新されていたのでお知らせを。