2015-01-15

あの日、あの時  NO 4074

昔は今日「1月15日」が成人の日だった。在住する生野区が主催してくれた式典の会場はロート製薬内のホールだったが、多数の友人達と参加したことを憶えている。

そんな友人の中に俗に謂われる「お坊ちゃま」みたいな環境の人物がおり、彼は私がやっていたスポーツに通じていたので交流が深く、一緒に練習をした仲間でもあった。

彼の家は最近に話題の多い「風水」みたいなことに傾倒しており、特に方角に関する拘りが強く、びっくりするほど単純に運勢や占いを信じてしまうのだから周囲から変人扱いされる気の毒な一面もあった。

そんな彼にアドバイスしていたのが試合の時のためのイメージトレーニングで、実力の半分も発揮出来ない彼の精神的な弱さと一連の「信心」に対してギャップを感じていたところから、かなり強い言葉で迫ったこともあった。

そんなところから友情とも言える「絆」みたいなものが生まれたのだろうか、成人式の式典が終わると参拝したいところがあるので付き合って欲しいと言われて驚くことになった。

彼が行くと言うのは名古屋の熱田神宮で、運勢による方角からそう決めたと聞いたが、交通費も全額負担するからと言われて随行することにした。

東海道新幹線が開通してから3年目だったと記憶しているが、「ひかり」に乗せてくれたので夢みたいな話だが、当時は「グリーン車」はなく、倍額となる1等車だったのに、彼が購入して来た切符がそれだったので信じられなかった。

参拝を終えて名古屋駅へ戻ったが、帰阪するのは近鉄線でもと伝えたのに、彼は名古屋駅を発車する列車の時刻表が掲示されている場所へ連れて行き、「乗りたい列車があるか?」と問われた。

岡山や広島、また博多や熊本方面へ向かう急行列車がいっぱい並んでいたが、目に留まったのが鹿児島行きの「急行霧島」で、20数分後の発車となっていたのでそれの乗ることになった、

「急行霧島」には思い出があった。高校生の時に沖縄へ出掛けた時、帰路で鹿児島へ上陸し、西鹿児島駅から東京行きの「急行霧島」を利用していたからだ。

前にも書いたが、当時はSL機関車だったし夏休みの時期だったので大変だった。満席でデッキの通路で過ごすという大変な体験をすることになったが、東京までの所要時間が26時間以上になり、同じ日に2本の同称列車が運転されているということになるのだからびっくりである。

さて、その「急行霧島」も1等車に乗せてくれ、デッキ通路で鹿児島から広島ぐらいまで過ごした大変な体験談を話しながら約3時間半の車内を過ごして帰阪したが、それから数年後に彼は予想もしなかった病からこの世を出立してしまうという衝撃に至ってしまった。

人生には出会いと別れがあるが、出会ってよかったという人がいっぱいいることは自分の宝であるが、それらが時には試練となって来ることがあることも世の常である。

幼馴染み、青春時代に知り合った人、同窓生達、仕事で交流が始まった人、また入院時に知り合った人など様々だが、人との出会いは人生で最も不思議でそれこそ「ご仏縁」を言うべきものだろう。

今日の写真は鹿児島中央駅。現在は九州新幹線の駅となっているが、前身は西鹿児島駅であった。
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