2015-01-17

あれから20年目  NO 4076

ご仏縁のある方のお通夜に参列して来た。夜になって一段と冷えて来たみたいで、マフラーと手袋がなかったら堪らないほど寒い思いをしていただろう。

20年目を迎えた阪神淡路大震災だが、両陛下がご出席されて兵庫県公館で追悼式が行われていた。設営を担当していたのは弊社が加盟する協会の同業仲間である神戸の「公詢社」だが、ずっと担当して来た歴史もあるが、今回は花の色や20年目をイメージするデザインで大変な苦労があったようである。

あの大震災の時の知事だった人物が昨年に交通事故でご逝去されたが、その密葬義やお別れの会も担当しており、当日までに何度も行われる打ち合わせやスタッフ会議も大変で、終わった瞬間に気が抜けたような虚脱感に襲われるのはそれだけ責務の重い仕事をしているからである。

両陛下がご出席された10年目の追悼式の前日に兵庫県公館に行ったことがある。もちろん前以て申請した上で許可がなければならない厳しい制限があったが、公詢社の吉田社長の勧めで設営に立ち合わせて貰い、リハーサルで天皇陛下の役をさせて貰うという畏れ多いことを体験したのも忘れられない思い出となっている。

あの頃は私も元気で現役だったが、この10年で6回も入院することになり、大病を患ってしまったのだから人生に大きな変化が生じた。しかし、杖を手に全国へ出掛けたり講演や指導に行くことも行っている。

症状の中に皮肉な悪戯みたいな宿命を与えられた。声帯を半分失うという問題だったが、何とかリハビリを重ねてコミュニケーションだけは可能となったので出掛けられる訳である。

講演の受講者の中には以前の声を知らない人もあり、半分の声帯で喋っているとは信じられないみたいで驚かれることも多いが、歯痒い思いを感じながらも残された人生の責務と考えて取り組んでいる。

歩くことも出来ず、ベッドに座ることも出来なかった入院時のことを思い出してしまう。右半身は完全麻痺、左半身は温覚痛覚麻痺、嚥下障害からの誤嚥性肺炎になり、大変な闘病生活を強いられたが、それが奇跡みたいに歩けるようになったし、喋られなかったのも喋られるように回復した。

嚥下障害というのは恐ろしくて大変で、スプーン一杯に水を飲めるようになるまで2か月間を要した。パソコンを打ち込むのに時間が掛かるようになってしまったが、これもリハビリの一環と考えこのコラムやブログを続けている。

この世に存命して「生かされている」ことを実感しながら、犠牲者の皆様に手を合わせ、追悼式を担当された公詢社の皆さんに「お疲れ様」と書いておこう。

今日の写真は追悼式が行われた兵庫県公館を。明治35年に完成した建物だそうだが、神戸の歴史を物語る特別な存在となっている。
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