2015-03-14
考えたいこと NO 4131
暗くなってから近所を歩いていたら前方から棒状の赤いライトを手にした自転車がやって来た。それは男性と女性の警察官で、擦れ違う時に「今晩は」と声を掛けられた。
こんな時には何と答えるべきかが瞬時に出て来ず、ただ「今晩は」とだけ返したが、「ご苦労様」では失礼だろうし、「お疲れ様」もマッチしないような気がした。
近くの公園は落ち葉の問題から木の枝が払われており、「あべのハルカス」がはっきりと見える。展望台の下の階はホテル「マリオット」となっているが、そんな情景を見ながら昔のこと思い出した。
昔、中之島に大阪大学の法医学担当室があった。検視で死因不明となればここで究明されることになり、警察から遺族に連絡があって一緒に寝台自動車で何度も行ったが、そこからすぐ側にロイヤルホテルが見え、最上階のレストランの灯りが輝いていた。
優雅な時間を過ごしている一方で突然不幸に出遭った人達もいる。そんなギャップをいつも考えながら仕事を担当していたが、自身の最期の瞬間を思い浮かべることも大切なことである。
「終活」という言葉が登場しているし、文具で知られるコクヨがエンディング・ノートを販売している事実にびっくりだが、自分が病室で最期を迎えるのか、自宅の畳の上で臨終を迎えるのか、また突然死という不幸な瞬間を何処かで迎えるのかも想定して考えたいものである。
人生様々だが、終焉の迎え方も様々。過日に25年前に亡くなったとされた人物が存命していた出来事があって話題になっていたが、それだったら亡くなっていた人は誰かという疑問が生じる。
ある日突然に行方不明となった人も少なくないし、最近は認知症で徘徊することや鉄道事故問題が表面化している。
40年ぐらい前のことだったが、交流のあった高齢の女性が衝撃体験をされたことがあった。銭湯へ出掛けたご主人がそのまま行方不明になってしまい10年ほど経ってから四天王寺に参拝し、同行していた人物から大阪府警が設けている行方不明者相談コーナーのテントに立ち寄ることを勧められ、何の期待も抱かずに行方不明になった年度のファイルを開けたら、5ページ目ぐらいに記憶にある浴衣の生地が目に留まり、それがご主人だったことが判明したというものだった。
調査資料によると何処かの道端で急病による不幸な最期と判明したが、身元につながるものを身に付けていなかったところからこんな気の毒な出来事となったようだった。
警察の管轄でも道路を挟んで「区」が分かれているところもあり、こんな不幸な行き違いが生じることもあるのだろうが、我が家の最寄り駅であるJR大阪環状線の寺田町駅は、生野区、天王寺区、阿倍野区の3区に接しているのでややこしい問題もあるようだ。
今日の写真は四天王寺の西門から撮影したもの。鳥居を入ってしばらく行った右手に行方不明者の相談コーナーがあったことを憶えている。