2015-04-30
工事中 NO 4176
随分昔の司会のフレーズに「人の世にも季節があることを教えてくださったのはいつのことでしたでしょうか?」「人生の黄昏を感じられたかのように、そのひとこまを語られたのはいつのことでしたか?」なんて問い掛けバージョンがあったが、自身が人生黄昏を感じる頃頃となった。
葬儀という仕事に長年従事して来たこれまでの人生。終焉の儀式もそれらしく自分でシナリオを描き、プロデュースしておかなければならないと考えており、様々な準備を進めている。
この「独り言」の移転もその一つで、ぼちぼち本音を綴ってもと思うので会社のHPを離れて発信したいと思っている。
G・Wを過ぎたら新しいページに移動する予定で、現在工事中というところだが、完成したらお知らせいたしますのでよろしくお願い申し上げます。
また、今春に大阪で会合があった全国の葬儀のプロ達の組織だが、そこで私の語録を残しておくべきではということになり、事務局が書籍という形式にするために取り組んでくれている。
それも「残す」が「遺す」という考え方もあるし、「終」の準備は着々と進んでいることをご報告申し上げる次第である。
随分昔から21世紀を迎えた超高齢社会の到来は葬儀の世界を大きく変え、個性化や多様化を飛び越えて想像以上に急変すると指摘して来たが、その中に「お互い様感情の稀薄」や「宗教観の稀薄」もあった。
宗教者団体での講演を担当した歴史もあり、そんなことを提唱して来たが、一部の宗教者を除いて大半の方々は変化を望んでおられず、「葬儀は昔からこうだ」と頑なに不変をと考えられることも少なくなかった。
葬儀は変わってしまった。特に著しいのは終焉を迎えられた病院から自宅へ帰られないというケースの増加で、式場へ直行して「秘密葬」という形式や火葬場へ直行する嫌な言葉である「直葬」というのが出て来たことである。
業界にあって「家族葬」をビジネスモデルとして立ち上げた業者は、自分達だけの囲い込み戦略で発想したら、予想もしなかったスピードで自分達の首を絞める現実となって後悔している事実があるが、それらを予測していたところから宗教者向けの講演ではそれが社会にとって大きな問題が存在していることを警鐘して来た。
日本の文化で「お互い様感情」は大切なことだった。「向こう3軒両隣り」という言葉があるが、江戸時代には自分の家を含めるこの6軒が互いに助け合う隣組関係が常識として存在し、「近所」は「近助」という考え方もあったようである。
不幸を迎えて葬儀ともなれば支え合ったのは言うまでもないが、それが近所に内緒で葬儀が行われる事実は本当に寂しいものである。
義理的な参列者に来て欲しくないという考え方もあるだろうし、その後の煩わしい関係も歓迎しないのでという行動もあるようで、これらが「お互い様感情の稀薄」を生む背景となっているようだ。
知らすべきか、それとも知らさないべきかで悩まれたケースも少なくないが、知らさない形式で進められて後悔されたことも多い事実も理解するべきで、人を送るということが軽いことではないと物語っているような気がする。
今日の写真はご仏縁に結ばれる高知県の「おかざき葬儀社」の上品な生花デザイン。行列の出来る手作り葬儀で知られている。