2015-05-03
月日は流れて NO 4179
昨日は八十八夜だった。起算日は立春だがその日を第一夜とするので八十七日後となっている。
夜のニュースで入間の新茶のイベントが紹介されていたが、遠い昔に茶摘みを体験したことがあるので懐かしく思い出した。
他府県の山奥から大阪へやって来て在住している友人がいるが、彼との会話の中に「麦踏」「グミ」「椎の実」「野イチゴ」「山桜桃梅」「山桃」などが出て来るので興味深く聞いているが、ずっと大好物の風物詩となっていた「山桃」が果実店の店頭に見掛けなくなって10年ぐらい経っているので寂しい思い。
我が家のすぐ近くにある地域の会館「西生野会館」にも立派な「山桃」の木があるが、枝が伐採されてしまったので残念である。
四天王寺の東門の広い道路の歩道には「山桃」の木が並んでいる。実のなる時期になったらどうしているのだろうかと気になるが、今年は確認に行ってみようと思っている。
「幸せ列車」のコラムで一昨日にテレビで放送していた「三丁目の夕日 64」について書いたら、私も観たというメールが届いた。同じ年代の人物で、中で書いた「ミゼット」や三輪トラックのことが懐かしいとあった。
掲載した写真は「日野ディーゼル」のボンネットバスだったが、国道25号線のベーカリショップ横の一方通行から飛び出したから「ミゼット」の横に、私が乗車していた市バスが衝突事故を起こしたのも「三丁目の夕日」の時代だった。
その時のバスは「いすゞ」のボンネットタイプだったが、同型車が今でも豊後高田市の「昭和の町」で活用されており、その写真をそちらに掲載することにした。
前にも書いたが、この大分県の「昭和の町」は是非行きたいと思っている。九州の鹿児島本線側は何十回と行ったが、日豊本線側はその半分ぐらいしか行っておらず、いつも豊後高田市は通過していた。
アクセスを調べたら、JR日豊本線「宇佐駅」からタクシーで1500円ぐらいとあった。この地域にある大分県最大の文化ホールで、ある会社の社葬のプロデュースと司会を担当したこともあり、車に機材を積み込んで関西汽船で早朝に別府港へ到着していた。
大阪から出張して貰った音響と照明のプロに前日リハーサルを頼んでおき、ビデオ会社の方達と同じ船で当日入りをしたが、2時間の式を終えたら腰がジンジンした思い出もある。
帰阪してから腰痛が悪化。しばらく整骨院通いとなったが、持病というものは何かのきっかけで再発するので爆弾みたいな存在である。
我が大阪は「都構想」でヒートアップしている。今朝の喫茶店談義に面白い発言があった。「失敗したら誰が責任を取るのだ。ドクターⅩの主人公みたいに『私、失敗しませんから』なら期待出来るけど」と言うものだったが、店内がそれで一気に盛り上がった。
今日の写真は豊後高田市の昭和の町にある「ミゼット」とキャロル。ミゼットの初代はバーハンドルのタイプで、丸ハンドルになった時は「ミゼットMP」と呼ばれていたと記憶している。