2015-05-10
住民投票が迫る NO 4185
BSの経済番組を観ていたら、偉大な経営者として知られる「松下幸之助氏」の講演の収録映像が流されていた。その中で経営者は成功させるも失敗させるも自身で、国家のトップも同じで「私」の感情が入ったら最悪で、会社や国を崩壊させてしまうと結ばれていた。
「俺が」という自我的な誤解を抱くと最悪の結果に陥ることになると解説されていたが、冷静に客観的な判断が出来なければ責任のあるトップになれることはなく、お客様、社員、取引先が離れて行く構図となる訳である。
会社は誰のもので誰の為にあるのかを問うことは昔から多くの人達に言われて来たことだが、「株主のため」「社員のため」「自分や家族のため」「お客様のため」など様々な考え方があろうが、社会での存在という使命感こそが重要で、そこで働く人達に「遣り甲斐」と「生き甲斐」が生まれなければ存在の意味はなく、やがては崩壊ということが社会の常である。
松下氏の「水道哲学」は知られているが、かつて余った予算を年度末に使おうとする行政の問題を指摘され、うまくやれば「無税」の国家が形成可能と説かれておられたが、そんな我が国も借金が「1083兆円」となり、「お札」と「国債」は幾らでも印刷可能うという現実に将来を憂うこの頃である。
この「独り言」の10年前の毎日の号を紹介いただいているページがあるが、ご笑覧くださる方々から「葬儀に対する信念や哲学の10年前が新鮮に感じる」というメールを頂戴したこともある。
長い間一緒に仕事をして来た人物から、「開式前の打ち合わせと違うことが突然始まって驚かされたことが何度もあった」と言われたこともあるが、それは式場空間が予想以上に沈み過ぎている場合に音楽の選曲を変更することも一つだった。
1時間半や2時間の中で使用される音楽も予めシナリオに決められているが、弔辞やお別れの言葉の内容から悲し過ぎる空気が生まれた際、重い旋律から優しく包まれる曲に変更して「余韻」によって救うテクニックを用いるのだが、これを顕著に物語る例がアメリカ映画のエンディング以降に流れるキャスティング映像やタイトル曲で、そのひとときによって観客が納得、余韻、救いとなって気分よく「館外」へ出られることになり、そこに「感慨」も生まれる訳である。
何かを行う場合にシナリオを描くプロデュース力は重要だが、キャスティングに妥協する世鵜なら失格である。我が国の総理と我が大阪市長はこの部分に大きな問題があることに共通するようだが、いよいよ都構想の住民投票が迫っている。
今日は「賛成に投票ください」という電話が掛かって来たし、ポストには「反対しましょう」というチラシが入っていた。
医院に行ったら「反対します」と掲示されていたし、商店街には「生野区をなくすな・反対」という表示をあちこちで見掛けた。賛成、反対のどちらにも一理あることは事実だが、やってみなくては分からないというのは恐怖感も生まれる。とすれば、橋下市長と松井知事の人格を考えることが何より重要なような気がしている。
今日の写真は先月の撮影した大阪城を。