2015-05-12
思い出したこと NO 4189
今年は早くから台風が襲来する。沖縄を巻き込んで日本列島に接近中だと思っていたら、かなりスピードアップして通過しそうだが、次の台風も発達しつつある気象情報に心配も。
昨日、60年前に発生した「宇高連絡船」の衝突事故の犠牲者の追悼式が行われていた。交流のあった人物が10年ほど前に、その時の「紫雲丸」に乗船していたことを語り始めた時は驚いたが、その方もつい最近に亡くなられたことを知り、お顔を思い浮かべながら手を合わせた。
「紫雲丸」の事故は岡山県の宇野と香川県の高松を結ぶ航路で、昔の国鉄が就航させていた。当日は深い霧が発生していたところで事故につながったという指摘もあったが、「紫雲丸」は過去にも事故に遭遇しており、前にも書いたように香川県の「紫雲山」から命名された船名が、「死運」と揶揄されて話題になったこともあるし、瀬戸大橋の構想や小中学生の犠牲者が多かったところから学校教育の中でプールを設置して水泳を教えることのきっかけにもなった出来事であった。
韓国で大型フェリーが転覆事故で多くの犠牲者を出したことから1年が経ったが、事故後に学校教育の中で水泳に積極的に取り組む意見も出ていたと記憶している。
「幸せ列車」のコラムに「金子みすゞさん」のことについて触れたが、彼女の故郷である仙崎がある山口県には秋芳洞が知られている。
過去に見学したことがあるが、この命名に関して秘話があったことを知った。秋芳洞を本格的に探査研究したのは明治40年頃で、イギリス人のエドワード・ガントレット氏によって行われたそうだが、当時は「瀧穴」という名称で呼ばれていたという。
秋吉村に存在していたこの鍾乳洞を大正15年5月に昭和天皇が行啓され、案内役を務めた当時の山口県知事がその名称を伝えたら、同行されていた宮内庁関係者から相応しくないような言葉があり、「出来ましたらご命名を」をお願いすると、やがて東京で命名され、それを上京していた知事が地元に「あきよしどう」と電報で知らし、地名の「秋吉洞」と思って年のために確認の電報を送信したら、「よしは芳」という返電があったそうで、それ以降は「秋芳洞」と称されるようになった。
当時の昭和天皇は「東宮」と称されていたが、侍従長は知られる「入江氏」で、この命名には氏が携わられたと伝えられている。
石灰が織り成す自然の芸術は悠久の時の流れを物語る世界が感じられ、沖縄や高知県でも見学したことがあるが、まだ発見されていないものがあちこちに存在しているとも言われている。
さて、昔から交流のある「お好み焼き店」に立ち寄ったら、近くの歯科医院の先生が亡くなられたことについて話題が出た。先生は2年前の94歳まで現役でお仕事をされていたそうで、ギネスに申請しましょうと言っても「恥ずかしいから」と固辞されていたそうだ。
葬儀が終わった夜、ご家族の方が来店され、お好み焼きを20枚焼いて欲しいと注文されたそうだが、お孫さんや曾孫さん達が偲びながら味わったと想像した。