2015-06-05

「出会い」と「出遭い」  NO 4211

http://happy-train.net/あべのハルカス 公園から近畿地方も梅雨入りとなり我が大阪では雨が降っている。ずっと夏のような気温だったのに、北海道で積雪があったというのだからびっくりである。

数ヵ月前に警察官が殺人事件を起こして社会を震撼させたが、今度はお寺の住職が殺人事件の容疑者となったのだから衝撃である。

警察関係者や宗教界の人達が信じられないと嘆いておられるだろうが、ある方が揶揄されていた言葉も思い出してしまう。

「警察官が信じられない事件を起こしたのではなく、おかしな人物が警察官になっていた」というものであった。

宗教者の問題は仕事柄から多くの方々と交流があるのでご心中を拝察申し上げるが、命を説く立場の人が命を奪ってしまったのだから考えられないこと。しかし、それが事実なら社会に及ぼす影響は想像不可能なぐらい大きなものだろう。

人生にあって素晴らしい人との出会いは何よりの財産で、私の場合にはそんな存在が全国に点在するので幸せだが、今回の被害者の女性にとっては出会うべきでなかった人物と出会ってしまったということになり、「出会い」が「出逢う」ではなく「出遭い」になってしまったということになる。

宗派の本山が発信された文章の中に「言語道断」という言葉があったが、上述の揶揄からすると「おかしな性格の人物が生まれるべきでなかった寺に生まれてしまった」ということになるが、被害者やご家族のことを考えると世の中が信じられなくなってしまうと同情申し上げる。

被害者の悲しいお通夜や葬儀が行われていた筈だが、その時に導師を務められた方もさぞかし衝撃を受けられていると想像しながら、事故や事件の被害者の葬送の儀式の光景は本当に重い空気に包まれる世界で、葬儀という仕事に携わるべきでなかったといつも後悔する体験の場でもあったことを再認識している。

遠い昔、ある抗争事件の被害者の葬儀の依頼があった。まだ若い人で初めての子供の存在を知って打ち合わせの場となったご当家から逃げ出したくなったのだが、喪主を務められる奥様から「こんな悲しみの思いを生業にしている仕事があるなんて信じられないわ」と言われて何も返す言葉なかったことを憶えている。

「涙は悲しい時にだけ流れ出るものではない。涙は感情が極まった時に流れ出るもの。人が生きている。いや生かされている輝きの証しである」という言葉があるが、葬儀という仕事に従事していると送る人達が、何れこの日を迎えるという自身への哀れみを感じて流す涙があるのではと思いながら今日に至っている。

今日の写真は近所の公園から撮影した「あべのハルカス」を。
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