2015-06-08
三丁目の夕日の前 NO 4214
http://happy-train.net/
過日に来年のサミットの会場として三重県志摩市に決定したことについて触れたが、賢島のある英虞湾には真珠を養殖する筏が多く存在している。真珠と言えば御木本幸吉氏の存在が歴史そのものである。鳥羽駅の前の鳥羽湾に御木本真珠島があるが、昔は船で渡っていたが、今は橋で直結されている。
JRが国鉄時代に参宮線の終着駅として鳥羽駅が存在していたが、1974年の1月に大火災が発生し、日和山へのエレベーターも消失してしまった。
戦後生まれである私の小学生時代の修学旅行伊勢だったが、大阪の大半の小学校はそれが多かったみたいで、伊勢神宮から鳥羽のコースの中で二見に宿泊したことも記憶しているし、日和山のエレベータ―で展望台に上がったことも憶えている。
御木本幸吉氏がご逝去されたのは1958年だったが、一昨日の号で触れた伊勢神宮の警衛のトップだった人物と並んで昭和天皇の行幸に日の丸の旗を振ったのは小学2年生の時で、その行幸の中で御木本幸吉氏は93歳で陛下を迎えられるという名誉な出来事もあり、その3年後に逝去されたそうであるが、その御木本幸吉氏の葬儀を担当された人物に当時の体験談を聞いたことを懐かしく思い出す。
ある新聞社の企画に協力したところから3社の葬儀社が旅行に招待されることになり、韓国、九州、東北の中から選択をするとなったのだが、まだ若い立場だったところからお2人のお考えに任せますとなったら東北に決定した。
伊丹空港待ち合わせで多くの新聞社の人達の見送りに恥ずかしい思いで飛行機に乗り、秋田空港へ到着したら我々3人と新聞社の2人の5人で大型バスの貸切だったので驚いたが、
もっとびっくりしたのは男鹿のホテルに宿泊した際のこと。夕食の会場になったのは80畳の大広間。そこで5人だけの宴会が始まり、舞台の上の大きな看板には我々一行の歓迎の文字があり、しばらくすると「なまはげ」が登場し、その皆さんの人数の方が多かったので何とも表現出来ない場になったことを憶えている。
帰路は秋田駅から東京駅まで列車ということになったが、当時はまだ国鉄時代でグリーン車ではなく1等車を利用という行程となっていた。
この時の車内で聞いたのが御木本幸吉の葬儀の時の苦労話で、その内容はその会社が発刊された社史にも紹介されていた。
知られる真珠の会社の社葬が神戸で行われたことがあったが、その時に葬儀委員長を務めておられたのが御木本真珠の人物で印象に残っている。
歴史によると御木本幸吉氏は97歳でご逝去されたそうだが、当時では記録的なご長寿で、その中で偉大なご功績を残されたことに拍手を贈りたくなる。
小学校の修学旅行で訪れた御木本真珠島に御木本幸吉記念館がオープンしたのは1958年のこと。そのすぐ後で修学旅行で行ったことになる。
鳥羽駅から目に入るのは「戸田家」という高台にある旅館。毎年囲碁の本因坊戦で対局会場となっているので興味深く思っているが、過日に札幌の「森の謌」お会場として第3局が行われたが、井山祐太プロが勝利されて3勝0敗となった。
戸田家での対戦は第6局で7月7日と組まれているが、井山プロが4勝されたら行われないことになる。次回第4局は6月16日に長崎県西海市「ホテル・オリーブベイ」で行われる。果たして結果はどうなるのだろうか。
今日の写真は伊勢市側から見える鳥羽駅だが、右側の3線がJR線。左側は近鉄線だが、志摩電鉄が近鉄線となって宇治山田間に新線が出来るまでは右側だけで、近鉄線の部分は海を埋め立てて開設されたものである。