2015-06-20
飲まない、飲めない人生 NO 4226
http://happy-train.net/
あまり飲むタイプでなかったから然程気にならず過ごせているが、飲酒量の多い友人達の中に「信じられない」「俺だったら死んだ方がましだ」なんて過激な発言をしたのもいた。
成人してから結婚するまで一滴のアルコールも飲めない体質だった。30歳頃に知り合った友人が割烹を開き、知人グループで立ち寄った際に飲んだのが初めて。日本酒を猪口で2杯飲んだら真っ赤になって気分が悪くなったので大変だった。
寒い時期に仕事で遅くなった時に立ち寄る楽しみになったものがあった。それは「湯豆腐」で、新鮮な葱がポン酢と相性がよくて何とも言えない味わいがあった。
割烹で湯豆腐だけ注文するのも申し訳ない思い。そこで日本酒を1本頼んで猪口で一杯だけ飲んでいた。
ビールは好きでなかった。「こんな苦いもののどこが美味しいのだ?」なんて疑問を抱いていたし、その後に数人の友人達と会食をした際に飲んだ小瓶一本で大変な二日酔い状態になって絶対に飲まない思いに至った。
そんな過ごし方の中で「味見」という積極的に行動していたことが一つあった。それは旅館に宿泊した際の夕食に出て来る「食前酒」で、様々な香りと味わいの風情が好みとなっていたのである。
そんな私が少しずつ飲めるようになったのはひょんなことから小学校のPTAの会長になったこと。副会長と教頭先生が酒豪でいつも3人の会合はビール、日本酒、水割りが付き物だった。
子供が卒業するまでの4年間在任していたが、その頃には日本酒なら1合。ビールなら小瓶1本を飲めるようになったのだから大変身。しかし真っ赤になるのは相変わらずだった。
厳しい冷え込みの時期に土鍋で湯豆腐を食しながら日本酒を飲むのも風情があるし、夏の熱い時期の風呂上がりに飲むグラス一杯のビールも美味しいなんて思い出したのは40歳を迎える頃の話。それでも自分の限度だけはしっかりと把握しており、日本酒なら一合の銚子で1本。ビールなら小瓶を1本ということを厳守していた。
その頃から「飲むなら乗るな」「乗るなら飲むな」という交通標語に対する思いは強く、悲しい交通事故の被害者の葬儀を担当したこともあるので飲酒運転に対する強い怒り覚え、周囲の人達にも日々の生活の中で啓蒙するような発言をしていた。
新しい社員が入社する時にも悲しい事故の葬儀の体験を話し、この仕事に従事しなければよかったと思う程で、そこから逃げ出したくなるぐらいだということを理解するように伝え、どんな事情があろうと飲酒運転の事実が発覚したら退職という姿勢で臨んでいた。
知人が病気になって医師から「酒を取るか命のを取るか」と決断を迫られて酒を選択して半年後に亡くなった人物がいたが、ご伴侶が「あの人に断酒は絶対に無理」と覚悟されていたのが印象に残っている。
さて、昨日の夕方だった。近所の人が「葬儀の式場案内看板がおかしいよ」と教えてくれた。車で国道25号線を走行中に寺田町駅の赤信号で止まった時に目に留まっておかしいと思われたそう。それは今日の葬儀の式場を案内する矢印看板で、すぐに会社に電話をして確認させたら「間違っていました」と報告があった。
通行している人がぶつかって看板の位置が変わったなら仕方がないが、設置したスタッフのミスなら理解出来ないような方向音痴ということになる。自社の式場の方向を誤るなんて信じられないことで確認する必要があるだろう。
今日の写真は博物館で撮影した昔のパイロットや客室乗務員の制服を。上述したように、空港のラウンジや機内でのアルコールも一切飲まないので寂しい思いも。