卓球の全日本女子の部で「石川佳純選手」がシングルス、ダブルス、混合ダブルスの3冠に輝いた。中継映像を観ていたら危ない場面もあったので精神的にも随分と強くなったものだと感心し、心から「おめでとう」の言葉を贈りたい。
スキーのジャンプ競技の葛西選手の活躍から「レジェンド」という言葉が有名になったが、女子の卓球で「レジェンド」と称されるのは世界卓球で殿堂入りされている旧姓の伊藤和子さん」である。現在は私より高齢になっておられる筈だが、彼女が2002年の全日本に出場され、全日本で「100勝目」を達成されたことも知られている。
遠い昔のことだが、ある大会が始まる前の練習タイムで彼女と同じ台で練習したことがあったが、その重たい回転の掛かったボールが印象に残っている。
今大会からセルロイド製のボールがプラスチック製に変更されたので違和感もあるだろうが、これによって得て不得手が生じて少しは影響があるのではと想像している。
男子卓球の世界で「レジェンド」と言えば「荻村選手」「星野選手」「長谷川選手」と言えるだろうが、友人がいたある大学の卓球部に練習に行った時、OBの方が「特別ゲストです」と紹介されて入って来られたのが1961年の世界大会団体戦でチャンピョンになった「星野さん」だった。それぞれが1セットずつ対戦させていただいたが、異次元の高度なレベルに衝撃を受けたことを憶えている。
「星野さん」はロビングが得意で、何度スマッシュをしても返されて来るので信じられないぐらいだったが、上には上が存在するものだと実感した体験でもあった。
残念だったのはロビングでも有名だった「長谷川信彦さん」だった。在住されていた関東で指導している選手達のために木を伐採している中で下敷きになって10年前に急逝されてしまったからだ。彼は私と2日だけ生年月日が違うだけだったので記憶に残っているが、シングルスの世界チャンピョンになった当時の面影が目に焼き付いている。
中国で活躍された選手で「荘則棟選手」の歴史は波乱万丈である。名古屋で行われた大会の時にアメリカ選手との交流から発展した「ピンポン外交」の当事者としても知られているが、文化大革命の時に攻撃を受ける対象となって大変な苦難を強いられたし、その後にスポーツ大臣に就任していたら「四人組」事件が起きて大変な目に遭遇され、名誉を回復されて中国の卓球の歴史で有名人として存在しているが、2013年にご逝去されている。
卓球にも硬式と軟式があるのをご存じの方は少ないだろう。ボールの質の薄さもあるだろうが、飛ぶスピードが随分と異なるので軟式はタイミングがゆっくりとなる。もちろん軟式に取り組む選手は少なくて限られていたが、軟式の全日本大会も行われていた。
今のルールは1セット11点先取で勝利となっているが、昔は21点制になっていた。ジャンケンをして勝った方が「サーブ権」か「コート」を選択出来るルールで、地方の小さな大会では会場の窓の暗幕に不備があり、光の影響を受けて大変なこともあり、意外とコートの選択が重要でもあった。
ある程度の大会になればタイムテーブルが組まれている。自分の試合の時間が大凡判明するので有り難いが、先に行われている試合がフルセットかそうでないかで随分と変わって来るので、遅れた場合は失格となる危険性もあるので自己責任として気を付けなければならなかった。
前にも書いた試合数のクイズについて触れておこう。460名が出場しているシングルスの大会で、優勝者が決まるまで何試合が行われるかということだが、答えは「出場者数マイナス1」で「459」試合となる。つまり、459人が負ければ優勝者が決まるという単純なことである。
今日の写真は昔に多く使われていた日本独自の「ペンホルダー」ラケット。長谷川選手は当時では珍しかったシェークハンドの攻撃型だった。