2015-10-17

赤面の思い出  NO 4344

燕三条駅上越新幹線が開業したのは1982年(昭和57年)だったが、開業してから間もなくに新潟県のある団体から講演依頼があった。「新潟空港までお迎えに」と言われたが、飛行機嫌いから東京経由で上越新幹線でと伝え、最寄り駅を確認したら「燕三条駅」だった。 

そのまま電話で様々な打ち合わせを進め、片手で時刻表を開きながら乗車する列車を決めて列車名と号数を言うと驚かれ、慌てたように「燕三条駅にお迎えに」と返されたのだが、こちらは相手の方の顔が分からないと伝えると、「お名前のプラカードを」ということになった。

この「燕三条駅」は上越新幹線開通に関してややこしい問題があったことも知られている。新潟駅と長岡駅の距離が離れているところから中間部に駅の設置ということで計画されたのだが、燕市と三条市のどちらにということで駆け引きが始まり、やがて境界線を挟んで駅が建設されることになったが、駅名で「燕三条」か「三条燕」かでも問題が発生、「燕三条駅」と決まったが、駅長室は三条市側にあるという折衷案となった。

因みに北陸自動車道が開通して設置されたインターチェンジは「三条燕」となっているのも面白く、世の中には秘められた歴史があることを知ることにもなった。

さて、その講演当日のことだが、東京駅で上越新幹線に乗り換えて新潟県方面へ向かった。長岡駅を過ぎて山間部から平野部になったところで「間もなく燕三条」という車内放送が流れ、降車する準備をしたが、車窓から見えるのは畑や田んぼばかりで、とても新幹線の駅があるとは想像も出来ない環境だった。

列車が燕三条駅に到着、ホームに降りたのは私の他に3人だけ。階段を降りて改札口に行くと私の名前を書いたプラカードを手にされた方が立っている。閑散とした駅構内の雰囲気に瞬間に恥ずかしくなり、気まずく恐縮しながら自己紹介をしてから車で講演会場へ向かったが、車内での会話が進まなかったのはご想像願えるだろう。

会場は著名な建築家「黒川紀章氏」の設計によるもので、斬新でこんなところにとびっくりしたビル内の広い部屋だったが、まだ完成してから日が経っていないみたいで、室内のテーブルや椅子も新しい物ばかりだった。

この時のお土産にいただいたのが「越乃寒梅」で、お酒を飲まなかったところから持ち帰って友人にプレゼントしたら「嘘だろう!」と驚かれたのを憶えている。

数日後、「送りますから」と聞いていた「お米」が届いた。田中角栄氏も食べておられたという特別な「お米」だそうで、近所の人や友人にプレゼントしたら全員から「何とか入手出来ないか」と言われることになったのが懐かしい思い出となっている。

今日の写真は燕三条駅を。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
携帯で下のQRコードをスキャンするか
 または
携帯に下のURLを直接入力します。
URL http://m.hitorigoto.net