2015-10-26

もう晩秋?  NO 4353

三池炭鉱ポスター紅葉は葉の命の燃焼であると言われています。何よりも人恋しさが募り、過ぎゆきし歳月を思い懐かしむ秋の訪れ。野や山が「紅(くれない)」に染まり、北国には雪の便り。

こんな司会言葉を語っていた時代もあるが、日本の四季は本当に自然の移り変わりを顕著に物語るもので、古人や先人が様々な「歌」で詠んでいる。

私が現役時代に語っていた司会のフレーズには「命」と「宗教」に関する言葉が多かったが、この四季に関することも多かった。

「季節の花が常に移ろいゆくように、人生も季節と共に過ぎて参ります。春の桜、夏の向日葵、秋の菊、彼(か)の人はそんな季節を何度迎えられたのでしょうか」

もう随分と年数が流れたが、この季節に送らせていただいた偉大な女性の葬儀のことが印象に残っている。様々な歌を詠んでおられた歴史もあるが、拝借した資料の中に冊子があり、その中にしたためられておられた一文を朗読したことを憶えている。

「男女の恋に比べれば、嫉妬や焦燥感もなく、ゆったりとした幸福な気持ちになれるのがこの自然という世界を創られた方への恋であることを、私は晩年になって知りました。恋と言ってしまうのは誤解があるかもしれませんが、敬愛や思慕の念とでも言えるでしょう。大阪に来てから二度目の入院の時に、娘が美しい曲を集めたテープを聴かせてくれました。その中に『さだまさし』さんの『人生の贈り物 他に望むものはない』という歌があります。その最後の方に『私の人生の花が散ってしまう頃、やっと花は私の心の中に咲いた』というフレーズあります。『やっと私の心に花が咲いた』が何かと言いますと、見るもの聞くものの全てが、姿を変えた仏様だと分かったことでしょうとございました」

「日本人は、古来、自然の美しさや自らの感情などを和歌や俳句に託してきました。熱帯地方にも寒帯地方にも詩は生まれて来たのでしょうが、四季の移り変わりのある温帯地方で生まれた詩や歌ほど人間の心の奥底を揺さぶるものはないでしょう。ひとつは四季折々の風景があまりにも美しいからでしょう。しかし、もうひとつには人生そのものが春夏秋冬の移り変わりに喩えられるかもしれません。だからこそ四季を与えられた我ら日本人は厳しい人生の冬の真っ只中でも『春の来ない冬はない』と耐えることが出来るのです。なるほど年中『春』のような人生なら、どれほど楽だろうと思う日もあるでしょう。しかし、人生にも四季があってこそ実り多き時間を過ごしたと言えるかと思います。
私も、また長い冬を過ごして参りました。そして、今、しみじみと春のあたたかさを噛み締めております。そんな私の思いを託した私の言葉、冬の寒さに耐えて来た私の愛する方々に贈ります」

この方に関する様々な資料を拝借してプロデュースを進めて行ったが、吟詠の世界で著名な方だったので随分とシナリオ作りで悩んだことを憶えている。

人生は「四季」、誰かがそう言いました。なんてフレーズから参列者の皆さんが「四季の歌」を献唱されたのも印象に残っているが、喪主さんがご用意された「お供養」の返礼品が「お香」に関するもので、式場に香りが漂っていたことも忘れられない。

葬儀という仕事に長年従事し、1万人以上の方の葬儀で司会を担当した歴史があるが、1時間の式が終わると虚脱感に襲われるほど疲れるもので、「1時間ぐらいの葬儀で疲れてどうする」という司会者達には信じられないほど神経を遣っていたのだが、この葬儀は特に大変だった体験となっている。

先月末に行った「富良野」に11センチも雪が積もったというニュースにびっくりしたが、また厳しい冬の訪れが近付いている。「春の来ない冬はない」「朝の来ない夜はない」という言葉を思い浮かべながら過ごすことになるが、今日は遠方から来阪して人物から電話があり、天王寺駅近くでティータイムを過ごして来た。

「今、あべのハルカスのホテルに」との電話だったが、コーナースイートの部屋で景色が素晴らしかったそうだが、高所恐怖症の私は部屋の様子を聞くだけでくすぐったくなった。

今日の写真は世界文化遺産に登録されることになった「三池炭鉱関連資産」の案内ポスターを。
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