2015-12-08

懐かしい思い出  NO 4398

点滴自宅のインターフォンが鳴った。「どちら様ですか?」と対応したら女性がご自分の名前を告げられた。その名前で心当たりのあるのは一人だけ。<まさか!>と思いながら玄関へ出ると、まさしくその方だった。

もう30年以上の時の流れがあっての再会となるが、今は亡きご伴侶は弊社の歴史の中で忘れられない人物だった。鳥羽商船学校を卒業という珍しい経歴だったが、達筆な毛筆がかなり知られており、葬儀の式場の玄関に掲げられる立て看板や樒など供花の名札を担当されていた。

随分前に紹介した出来事に再度触れることになるが、ある大規模な神式の葬儀でのことだった。入り口となる門に掲げる立て看板を他府県から来られる教会の関係者の方が書かれることになり、板と墨の準備だけを依頼された。

話によると高名な書道家で、私もどんな看板になるのだろうかと興味を抱いており、その方が到着される予定の午後1時過ぎ頃にお手伝いを兼ねて教会へ行っていた。

教会の重職にある方の葬儀で、「第**世教会長 故****儀教会葬式場」と書かれる予定だったが、別のお客様の担当をしなければならない電話があり、夕方までその式場を離れていたのだが、事務所に戻ると「立て看板をもう一枚届けるよう電話がありまして今持参しました」と報告があった。

何があったのかと思いながら車で教会に到着すると、その大先生が私の顔を見られると同時に「悪いなあ、ちょっと文字のバランスが合わなくなってしまってね」と事情を説明された。

やがて持参したもう一枚の板に書き始められたが、やはり途中で筆を止められ、「木の板に文字を書くことは難しいものだ。君の方で担当してくれないか」となって冒頭の人物に来て貰って書くことになったが、その筆の運びをご覧になっていた大先生は「やはりその道には達者な人が存在するものだなあ」と感心され、本人も嬉しかったと喜んでいた姿を憶えている。

また、その人物は様々な宗派のお経を憶えており、経済的に困窮されていて宗教者を呼ばれないケースで読経をしていたこともあった。

当時は「樒」が100対を超えるケースも少なくなかった。「対」ということは1対で2枚書かなければならない。時には何軒も重なることもあり外注で応援いただいたこともあった。この人物が「あの人の字は素晴らしい」と称賛していた人物があった。我が家の近くの疎開道路の喫茶カローラの真向かいにある「提灯」を製作されているお店の先代さんで、私も可愛がっていただいたことがあるので忘れられないし、大病を患って入院をしている私の見舞いに今のご夫婦が来てくださって恐縮したこともある。

「人には思い出がある」「人には人との思い出がある」という言葉があるが、「人に歴史あり」という有名な言葉を思い浮かべた出来事となった。

明日は病院で二つの検査を受ける。まさかまた入院ということにはならないと思うが、年齢的な問題が出て来ていることも事実で、おかしいと思ったら早目に検査を受ける私の性格からの行動である。

今日の写真は過去に入院した時に撮影した点滴のひとこま。もうこんなことだけは体験したくないと思っている。
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