2015-12-25

年末なのに  NO 4414

富良野の一枚朝から病院へ行った。予約診察だったが大規模病院では今年最後になる。29日午前中まで開院している医院へ薬を貰いに行かなければならないが、変な兆候を感じながら年を越すことになりそうだ。

流石に大規模病院で患者が多い。診察が終わって支払う時の整理番号が322番だったのだからびっくりだし、自動支払機でクレジットカードが可能というのだから便利である。

院内で3人の知人に会った。その中のお一人は車椅子だったが、お元気な頃に何度かお話をしたことがあるので当時のことが瞬時に思い浮かんだ。

いつも天王寺駅から四天王寺を回るのがその方の散歩コースで、あれだけ歩いていた方がどうして車椅子生活を思ったが、どうやら入院されているようでご家族の方が2人付き添っておられたが、奥様の姿が見えなかったことが気になった。

診察フロアの受付窓口へ書類を出したが、その時に気になったのが壁にあった丸型の時計で、5分進んでいた。そして待合い室に入って時計を見たらそれも5分進んでいる。ひょっとして自分の時計が遅れているのではと心配になって携帯電話の時間表示を確認したら間違っておらず、病院の壁の時計の二つが5分進んでいることが判明した。

こんな些細な問題はどうでもよいことだろうが、何でも気になる性格なのだから困ってしまう。病院が時計を進める何かの意味があるのだろうかと考えてしまうので暇な患者である。

おかしな兆候がまた一つ増えた。左の視野の外で雪が降っているみたいに見えたり、稲妻の光が見えることが出て来ており、こんな異変兆候は脳内の疾患と考えるのが普通だが、過日に撮影したMRIの画像診断でも問題なく、不思議な現象だと困惑している。

最も恐れることは再発して「寝たきり」になること。現在はフラフラでも杖を手に移動が可能なので少しは楽しみもあるが、動けないとなったらそのまま死んだ方が楽だろうと思ってしまう。

多くの友人達が入院している、中には不治の病で辛い闘病生活を過ごしている人物もいる。それから比べたら恵まれているが、自分の抱く欲望が徐々になくなってしまうことは寂しくて悲しいことだ。

「行きたい」「食べたい」「見たい」「会いたい」などの「たい」という欲望が失せ、「死にたい」「逝きたい」となったらお終いである。この世を出立する前にしなければならないことがあるので随分と書き込んでいる。出来上がったらプリントアウトしてあちこちに送付することになる。

プリンターも購入して準備してあるのでいよいよ役立つことになる。「ある日突然」というフォークソングがあったが、その歌詞を思い浮かべながら打ち込んでいる。

今日の写真は北海道の富良野の1枚。ゲリラ豪雨が止んだ後に撮影したものだが、過日のニュース映像でマイナス21度を記録していたことを知ってびっくりした。
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