2016-05-16

地震が多い  NO 4856

旅館の朝食毎週月曜日の夜に放送されるBSの音楽番組は楽しみしているが、途中で「緊急地震速報」の信号が入り緊張した。震源地が関東に在住する孫達のいるところだからだったが、「震度4」ということでホッとした。

最近は地震が多いので恐怖感を抱いているが、熊本の余震が収まることと大きな地震が起きないように願っている。

シーンの「会長の独り言」を朝から更新したが、何かの不具合でページに登場しないのでおかしな現象。夜にもう一度同じ物を送信したが入っていないが、何処かに紛れているようだ。
さて、昨日の15日で沖縄が返還されて44年目になり、記念イベントが行われているニュースがあった。

初めて沖縄へ行ったのは1963年(昭和38年)の夏で、今から53年前のことだった。

当時はアメリカの統治になっており、通貨はアメリカドル。1ドル360円の時代で、パスポートを申請して行ったものだが、パスポートの中に「南西諸島の渡航」という文字があったことを記憶している。

神戸港の中突堤から関西汽船の「浮島丸」という2600トンの貨客船に乗って奄美大島や与論島などを経て沖縄に向かったが、強風の影響で波が高く、大阪湾から友ヶ島の近くを通って太平洋に出たら猛烈な揺れ。酷い船酔いのお蔭で何も食べられずに66時間を過ごして那覇泊港に入港して行った。

これまでに何度か書いたことがあるが、まるで台風みたいな状況の中を航行した訳だが、8月17日に那覇に入港する時に岸壁には数千人の人達が見え、それが久米島航路の「みどり丸(302トン)」が横転して多くの犠牲者が出ていた事情を知った。

SOSも発信出来ずに横波で横転したという事故という記録があるが、漂流者を通り掛かった砂利運搬船が発見して救助したが、その船には無線設備がなく、港に着いて初めて沈没した事実が判明し、それは事故発生から5時間も経ってからだった。

事故調査によると三角波と突風による横転だったらしいが、操舵室への浸水が早くて無線を発信することも緊急時のボートを対応することも出来ずに112名もの犠牲者が出たという悲惨な海難事故だった。

その時の猛烈な強風を体験していたのでよくぞ転覆事故にならなかったものだと同行者と話していた。

宿泊に利用したのは今回のために入会したユースホステルで、そこでも「みどり丸」事故の話題で持ち切りだった。

10年ほど前、関東のホテルに宿泊してお願いしたマッサージの人との会話に驚きの偶然があったことを知った。その方は沖縄出身だそうで、親戚の方が「みどり丸」に乗船されていたことから那覇港へ来られていたそうで、我々が乗船していた「浮島丸」が入港して来たのをはっきりと憶えていたからである。

こんな出会いがあるのだから不思議だが、親戚の方は残念だが犠牲になっておられたそうだった。

「浮島丸」は我々が利用した10年後に関西汽船から転売され、東京と小笠原を結ぶ航路を「父島丸」として航行していた歴史もあるが、現役を終えてから台湾に転売された後にて解体されたそうである。

さて、「幸せ列車」で連載している「小説 女将シリーズ」に関連することで触れておきたいことがある。舛添都知事の過去の問題の浮上であちこちの宿泊施設を利用していた事実で、マスメディアの取材が訪れるケースもあるみたいだが、千葉県の施設は「正月に会議は行っていません」と断言したのに対し、栃木県日光の宿泊施設は「お答え出来ません」と返し、その理由を尋ねたら「口止めされているから」と返したそうでびっくりすることになった。

一般的に飲食業や宿泊施設などのサービス業は利用されたお客様に関する情報を公開することはしないのが常識で、千葉県のリゾートホテルが詳しく対応したことに驚いていた。

我が葬祭業界もお客様に関係する情報は「故人情報」ならぬ「個人情報」となり、ご遺族以外の方から問い合わせがあれば慎重に対応することが常識だが、通夜や葬儀の式場で親戚の人達がスマホや携帯電話のカメラで前方から撮影している光景を目にすると、画面の後方に入られる方々の肖像権について気になるこの頃である。

今日の写真はあるホテルの和風朝食を。
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