2016-05-29
習慣の変化 NO 4869
21世紀を迎えるまでの通夜や葬儀は弔問者への「通夜振る舞」も当たり前のように行われていた慣習で、参列者という他人に「施す」ことが故人に対する「供養」や施主の「功徳」という考え方もあったが、核家族が当たり前のような時代になり、宗教観の稀薄、お互い様感情の稀薄などの社会の流れにネット環境が潮流となって来て、20世紀終盤に「21世紀の葬儀は究極なまでに無駄を省く発想が現実化するだろう」と予測していた私の考え方はその通りになってしまい、向こう三軒両隣にも知らせないという「秘密葬」みたいな「家族葬」が流行するようになり、それらは今後もますます多くなるだろうと予想する。
1軒の葬儀にお寺さんが3人や5人ということが少なくなかった20世紀だったが、前述の流れから宗教者を迎える考え方も大きく変化してしまい、その大半が導師一人だけとなってしまっている。
遠い昔の葬送には「野辺の送り」という言葉もあり、葬儀に参列してご出棺を見送り、中には火葬場までマイクロバスに乗って見送るという会葬者もおられたが、21世紀を迎えた頃から親戚以外の会葬者が火葬場まで随行される姿を見掛けることがなくなり、これらは火葬場のすぐ近くに「御斎」が可能な料理店が登場するようになって皆無となってしまった。
火葬場近くの料理店で「御斎」をされるようになれば式場に戻ることもなく、遺族と親戚以外は随行しないということが定着したようである。
これらは我が大阪での実情だが、昔から東京都内では「お骨揚げ」を火葬場で待つ慣習があり、その間に遺族や親戚の方が頼んでおいた軽食のひとときを過ごすのが一般的だった。
大阪市内での火葬時間は2時間以上で、都内では1時間程度であったことからそうなったのだろうが、十数年前の大阪での流れは式場に戻って「御斎」のひとときを過ごすのが一般的で、食事が終わった頃に「お骨揚げ」に向かうマイクロバスに乗車する流れが多かった。
「お骨」が戻ると浄土真宗系などで呼ばれる「還骨」という法要が執り行われるが、四国などでその日の内に「初七日」法要を済ませることもあちこちで行われることになってしまい、今ではそれが当たり前のようになってしまっている。
初七日をその日の内にという考え方は、葬儀を終えてから数日後に親戚達が集まることが大変という「生きている側」の勝手で進められるようになったのだが、当初は強い抵抗感を抱いておられた宗教者も、今では仕方なく認めておらるようだ。
近所で不幸が発生すると「焼香に行かないと」という会話が交わされることがあるが、「お見送りに行かなければ」という会話に発展することは少ないようで、焼香という作法行動が参列につながるという誤解が罷り通り、お通夜に参列して焼香すれば葬儀に行かなくてもよいという考え方が潮流となり、通夜と葬儀と参列者数の逆転が顕著となり、今や通夜の半分以下の寂しい葬儀の光景が増えている。
群馬県で軽自動車とオートバイの衝突事故で火災となって4人が亡くなるニュースがあったし、河内長野市のダムに車が落下して5人が亡くなる衝撃的な事故も起きていた。また悲しいお通夜や葬儀が行われることになる。ハンドルを手にする人は事故を起こさないように気を付けよう。
今日の写真は弊社の式場や我が家の最寄り駅であるJR大阪環状線「寺田町駅」外回りホームに掲げられている古い時代の看板だが、「鉄道遺産」として登録されるような話題が出ていた。