2016-08-09

思い出すこと  NO 4041

ペンホルダー今日は長崎の日。朝から静かに手を合わせた。「幸せ列車」の中で「10年前の独り言」が紹介されているが、「長崎の鐘」を作曲された古関裕而さんのことに触れていた。

東京オリンピックの時の行進曲も古関祐而さんの作曲だが、今、リオでのオリンピックが始まっている。39年前にブラジルへ行った時のことを思い出す。リオデジャネイロの空港でサンパウロへ乗り継ぐ時に新聞を手にする搭乗客の紙面に目が留まった。一面に大きなプレスリーの写真が掲載され、彼の訃報を伝える記事であることを知った。

そんなところから、プレスリーの映像や音楽を耳にする度にブラジル到着のことを思い出すが、サンパウロ郊外の豪邸で3日間お世話になったことがあった。

ラジオ放送局を経営するトップの人物の家だが、ホテル以上のツインルームを我々夫婦のために提供下さって恐縮した。

広い邸宅の中に卓球台が置かれた部屋があり、小学生くらいの男の子と女の子がゲームをしていた。

かつて卓球選手だった経験もあるところから対戦することにしたら、余りにもレベルが違い過ぎることに驚き、女の子が出て行ったなと思っていたら多くの友達を伴って戻って来た。

全員が卓球仲間だそうで、地元の中学校の卓球部でかなり知られる選手もいたが、大阪代表になったこともあるところから実力の差は歴然で、次の日、その次の日と高校生まで集まって来てお祭りみたいになってしまった。

臨時コーチみたいになって多彩なサービステクニックを教えたら皆が固まってしまうような状況になったが、当家の子供達は日本からやって来た客が注目されていることに嬉しそうで、ご両親や近所の人達までやって来たので面白かったが、その家から次の目的地へ移動する時は泣かれたことを憶えているが、彼も50歳ぐらいになっているだろう。

リオの卓球競技の中継を観ていたらびっくりすることがあった。ロンドンオリンピックの時にベスト4になったシンガポールの選手と戦ったルクセンブルグの人物だが、何と53歳の現役選手で出場しており、ペンホルダーの裏と表を器用に持ち替えて相手を翻弄していたからだ。

両者とも中国人で帰化したと解説していたが、変則なタイプで慣れるまでシンガポールの選手が困惑していた。

40代の頃にヨーロッパ選手権で優勝した歴史があるそうだが、如何にもやり難いタイプで知られる選手だった。

ちょっと昔の卓球の体験について書いておくが、10歳ほど年上の人物が古い時代のラケットで若い選手達を翻弄していた。俗に1枚ラバーと呼ばれるもので粒々のラバーを板に貼ってはいるがあるべきスポンジの部分がないのでおかしな回転をするので慣れていない選手達は苦労していた。

私が所属していた団体とインターハイ団体、ダブルス、シングルスの三冠を獲得した高校の卓球部と練習試合をしたことがある、その中にラバーを貼っていない「板のみ」という変則なタイプの選手がいた。私は1枚ラ―バーの選手との体験があったので問題なかったが、大学の卓球部選手でも翻弄されて敗れていた。

卓球人生の中で貴重な体験となったのはある大学に練習に行った時、その大学のOBという人物が「星野展弥氏」を伴って来られたことで、対戦という貴重な体験をしたが、1959年の世界卓球団体戦優勝、1961年男子ダブルス優勝という輝かしい歴史に輝く人物でそれは凄いレベルの実力を感じた。

何かの大会の当日、早く行って練習台を確保して練習していると高齢の女性から「お願いします」と頼まれてラリーを始めたら、そのボールの回転の重さにびっくり。後でその方が世界卓球で大活躍された「伊藤和子さん」であることを知った。

今日の写真は卓球のラケットを。現役時代に様々なメーカーのラバーを試していた。「YASAKA」「バタフライ」「アームストロング」「テンペスト」などが懐かしいが、今でも存在しているのだろうか。
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