2017-02-25

ふと考えたこと  NO 5990

禁酒マークあなたが終焉の瞬間を迎えられる時、それは何歳でその場所が何処か想像されたことがあるでしょうか?

自宅の部屋、病院の入院している病室、旅先、道路上など様々に考えられるが、自身の意識をしっかりと持ち、誰かに最後に遺す言葉を伝えることが出来るだろうか?

自身の意識も失われ、認知症に侵され、徘徊途中で交通事故に遭遇する悲劇もないとは限らないし、少なくともこの世を出立する瞬間には自分の意識が理解出来ることが何よりだろう。

私も来月には古希を迎える。これまでの人生で13回の入院体験もしているが、大手術や最悪の疾病に倒れても奇跡的に生かされることになり、目が不自由になりつつも今のところは杖を手に歩けるのだから有り難いことだと手を合わせている。

多くの素晴らしい人達と出会った。その中にはもうこの世を出立してしまった人物もいるが、私自身が葬儀の司会のマイクを手にしていたこともあるので全て強烈な印象が残って忘れられないでいる。

前号で少年による2件の無免許運転のニュースに触れたが、同乗していた人達も会うことがなかったらあんな事件に巻き込まれなかっただろう。

人生にあって出会わなかったらよかったという人物も確かにいる筈だが、それを理解した瞬間から自身で距離を置いたり何らかの線引きをする行動が重要である。

私の口癖でもある「加害者になるな・被害者になるな」は、それらに基づいた裏付けの
言葉であり、おかしな人物との出会いは自身の人生を崩壊させてしまうこともあるから恐ろしいのである。

千葉県の大学の医師や医学生が仕出かした女性への暴行事件もそうだが、酒を飲んで暴挙に至るなんて人として羞恥のレベルだと意識したい。

私は飲酒運転をする人達を軽蔑している。乾杯だけだからと行動する甘い感が方も大嫌いで、他人に厳しくするならまずは自身に厳しくありたいものである。

通夜や葬儀で事故死や事件の被害者のケースでは本当に辛いもので、司会のマイクを担当せずにその場から逃げ出したくなるのが本音である。

随分昔の「独り言」で紹介したことをもう一で書いておくが、ある時次のようなメールが届いていた。

「私も葬儀の司会をしている若い女性です。今夜、交通事故で亡くなった幼い園児の女の子の通夜を担当します。それは想像するだけでも大変で、涙が溢れて取り乱すことになるかもしれません。先輩司会者から『涙を流すようなら司会者として失格でプロなら泣くな』と言われてもどうにもならないかもしれません・そんな私は葬儀の司会者として向いていないのでしょうか?」

そんな内容だったと記憶しているが、そのメールを目にしてからすぐに次のような返信を打ち込んで送信した。

「いっぱい泣いてきなさい。機械が司会をするのではなく人間がするのですから感情に左右されるのも仕方のないことです。開式前に次のようにお断りをしなさい。『私は司会者ですが一人の人間として皆様と一緒でご祭壇の遺影を目にするだけで悲しくなってしまいます。涙や嗚咽で言葉にならないこともあるでしょうが、何卒お許しくださいますようにお願い申し上げます』とね」

その日の深夜、彼女からお礼のメールが届いていた。「悲しくて言葉にならず取り乱す無様な司会をしてしまいました。しかし、お母様から『あなたが司会を担当してくれたことは救いよ』とお言葉をいただきました。明日の葬儀は懸命に担当します。ご指導とやさしいお言葉を真に有難うございました」

今日の写真は飲酒運転に関し「飲んだら乗るな。乗るなら飲むな」の思いを託して。
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