2017-04-02
こんなことも NO 6024
彼のアパートの部屋は4畳半一間だったが、自炊することはなくいつも外食をしていたので寝るだけのスペースさえあったらよいと常々言っていた。
何を食べても大丈夫というような人物だったのに、体調の異変から病院で検査を受けたら手遅れという信じられない現実に誰もが驚いていた。
そんな彼のアパートのすぐ近くに映画館の看板を描く工房があった。映画会社から提供されたスチール写真を見ながら西部劇などの大きな看板を描いていたが、それは見事なもので何度か見学したことを憶えている。
この工房の先生と呼ばれる人物の助手をしていた人がアパートの隣室で住んでいた。よく二人で音楽を聴いていたので騒がしかったみたいで、何度か「ボリュームを下げて」と言われたこともあった。
友人は町工場で働いていたが、その工房の助手という人物は修業をしていたみたいで、それから数年すると大きな看板を描くようになっていた。
ある時友人と東京へ行ったことがあった。彼のお姉さんが国立駅の近くの美容室に勤務しており、会わなければならないことがあるというので付き合ったものだが、次の日にホンダの「S600」のレンタカーで房総半島をドライブした。
まだ国道や県道しかない時代で、随分と時間を要したが、銚子市にある「犬吠埼」から見た太平洋の光景は今でも思い出される。
国際線の飛行機で成田空港を発着すると房総半島の上空を飛ぶが、伊丹空港から日本航空「3006便」から見えた半島の景色は美しく、当時を懐かしく思い出すことになった。
ここで過去に触れたことをもう一度書いておくが、成田空港から伊丹空港へ飛ぶ日本航空「3007便」は国際線の機材を使用しており、ファーストやビジネスクラスの設定もあるが、国際線でそのクラスを予約していると優先的に対応してくれるみたいで、最新型のシートを利用させて貰ったこともあった。
前述の友人とは何度かドライブに行ったことがある。知人がいるということで北陸に行った際はマツダのキャロルに3人乗って行ったが、深夜の走行で居眠り運転をしたら大変と用意していた「オールP」を飲んだが、その衝撃的な味わいも忘れられない思い出となっている。
ある時、神鍋山方面へ出掛けた時、ハンドルで異常を感じて停車したら、右後輪がパンクしており、スペアタイヤを取り出そうとしていると、彼が「こっちもパンクしているぞ」と指摘、その上に取り出したスペアタイヤもパンク状態で、円山川の堤防の上で大変なことになり、近くの民家で電話を借りてガソリンスタンドに依頼をして助けて貰ったが、「3本のタイヤがパンク」と伝えたら信じて貰えなかった。
お陰で2時間を無駄に過ごしたが、大阪に戻って同じ轍を踏まないようにと、タイヤのサービスショップをしている友人に頼んで全てのタイヤを新品に入れ替えた。
当時の地道は釘が多く落ちており、パンクが日常茶飯事になっていたが、まさか一度に3本もパンクするとはびっくりだった。
そのタイヤショップをしていた友人も昨年に亡くなった。結婚式の司会を担当したこともあり特別な思いで見送ったが、昨年に大規模病院で診察を受けた際に再会しており、互いの病気を慰め合ったことが思い出される。
今日の写真は日本航空「3007便」に機内で撮影したものを。