2017-08-14

あの頃  ǸО 7042

万寿ゴルフ倶楽部八尾空港から福島へ向かっていた小型機が奈良県の山中に墜落したニュースがあった。現場は名阪国道の「神野口インター」すぐ近くだったが、この「こうのぐち」というインターは私の人生にとって忘れられない所である、

インターから車で5分という場所に私がメンバーとなっていたゴルフ場があったはらで、現役時代にハンデキャップが「12」から「7」まで認定された思い出があるからだ。

50歳になった頃から行くことはなかったが、ずっと会費だけを振り込んいた。しかし、大病を患ってからラウンドが不可能となり、数年前に退会することになった。

ハンデキャップで「10」から「9」になるにはクラブ規定によって異なるが、ここの場合は3か月間のクラブ競技での30ポイント取得が条件で、月例で優勝すれば20ポイント、研修会で優勝すれば10ポイントで、3か月が過ぎると消えてしまうのでチャンスがあれば一気に挑戦しなければならない。

月例と研修会で引き続いて優勝するという幸運に恵まれ、ある日クラブの支配人から電話があり、日時を指定されてハンデキャップ委員会のメンバーやマナーに関する員会メンバー2組のラウンドが組まれ、プレー後の入浴のマナーまでチェックされていたことを知った。

問題がなかったようで用意された部屋で認証式が行われ、恥ずかしくないゴルファーとなることを宣誓したが、その時に貰った認定証は宝物になった。

その後に月例で優勝してチャンスを迎えた友人がいたが、いつも緊張してしまったみたいでポイント毛消える3か月間を過ぎてしまって残念会をしたことを憶えている。

彼は。優勝の次の月の月例で2位になれば条件が整うのに、前半を30台でラウンドしたのでもう大丈夫だと思っていたら、16・17・18番の3ホールで重圧感から崩れてしまい、4位となってしまって自分を責めていた。

彼とは幼馴染で、共に同じゴルフ場のメンバーになって楽しかったし、ずっと忘れられない友人の一人となっている。

私はプレッシャーに強いと言われていた。ティー・グランドに立って池やバンカーが存在していても、8割もセーフゾーンがあるとプラス志向で考えたし、ディボット跡に運悪く入っていても「これは与えられた悲恋で、これをクリアしたらきっと幸運が」なんて発想していたのだから少ないタイプだろう。

プレッシャーで忘れられないことがある。メンバーとなっていた八重桜カントリ―での出来事だが、大晦日にセルフプレーでラウンド出来るきかくがあった。深いご仏縁のあるお寺のご住職と二人の息子さんと一緒に行ったものだが、クラブハウスも閉館しており着替えは駐車場の車という条件でも最も行きたかった時期なので心から嬉しくエントリーをしていた。
大晦日なので冷え込みは半端じゃなかった。18番の最終ホールまで行くと何かのトラブルがあったみたいで4組も待たされることになった。

高台から打ち下ろすホールだが、やっと我々の組の番になったのだが、前の組の人がセカンド地点で売っている、その時に待っている後ろの組の人達から「もういいぞ」と我々の組がティーショットをするように急かせた。

「危ないですからもう少し待ちます」「あそこまで届く筈はない」なんてやり取りがあって焦ることになったが、オナーであった私は「安全ゾーンまで行かれたら打ちますから」と返したが、ご住職や息子さん達は気を遣って「もう打てば」と思われていたそうだった。

こんな状況でミスショットでもすれば笑われるだろうが、黙って耐えていた私は前の組がグリーンの上に行かれたことを見てティーショット。それは自分でもびっくりの会心のショットでグリーンの手前まで飛んで行った。

待っていた後ろの組の人達が静かになり、やがて「失礼を言いました」と謝罪の言葉まで出て来たのでホッとしたが、帰路の車中はその時の話題で盛り上がったことは言うまでもない。

今日の写真はかつて7入会していた万寿ゴルフ倶楽部を。私が40歳の時にオープンしたが、半年間はメンバーのみのラウンド制限から随分と楽しんだものである。
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