2018-08-22

60年前のこと  NO 8286

陀羅尼助幼馴染と久し振りに会った。「三丁目の夕日」の時代の話題が懐かしかったが、互いが思い出したことを話しながらその当時の時間が流れることになった。

小学生時代、国道25号線の「百済」が終点で市電が走っていた。源ヶ橋や寺田町を通って桜川や福島西通りを結んでいた。

当時の市電の小学生運賃は市バスと同じで10円だったが、現在の大阪環状線も円形につながっておらず、天王寺から大阪駅まで小学生は5円だった。

天王寺から寺田町の交差点を通ってトロリーバスが走行し、玉造まで行けたことを憶えているが、トロリーバスは杭全町から今里の方へ走っていたことも記憶がある。

当時の道路事情は悪く、凹んだ路面の揺れからトロリーバスの架線が外れることも多く、その度に車掌さんが降りて接続していた光景を何度も目にした。

天王寺駅前から市電が谷町筋を走っており、途中で右折して現在の天王寺警察署の前を通って上町筋を左折して上六から森ノ宮の方へ結ばれていたことも憶えている。

私が中学生になった頃、上の姉が東京のバス会社に勤務し、NHKの「それは私です」というテレビ番組に出演したことがあった。

私が通っていた中学はマンモスと言われたように生徒数が多く、私が3年生の時に16クラスで、2年生が24クラス、1年生が21クラスだったので今では信じられないクラス数だ。

その時の校長の朝礼の挨拶で印象に残っていることが二つある。一つは犬や猫のペットに与える餌のことで、地球上でその量を考えたら膨大だということで、もう一つは紳士の国イギリスでは野球は流行らない。何故なら盗塁という盗むことが紳士的ではないからだというもので、今なら物議を醸すことになっただろうと想像する。

小学生時代の林間学校は吉野と高野山に行ったことを憶えているし、修学旅行は定番の伊勢だった。

中学生の時の林間学校で女人禁制の大峰山に行ったことが印象に残っている、登山口の洞川までのバスの行程が恐ろしかったからで、細い地道で対向車があったら大変だったからだが、女子は稲村ケ岳に登ったことを憶えている。

洞川で宿泊した旅館は「西儀」だったと記憶している。窓から川の流れが見えたことも憶えているが、今でも存在しているのだろうかと思ってネットで調べてみると、「観峰荘にしぎ」と言う名称があり、アクセスをチェックすると近鉄南大阪線の下市口から奈良交通のバスで1時間10分とあったが、当時は道路事情が悪かったからか2時間近く要した記憶がある。

土産として買って来た物が有名な代物で、行者の間で知られた「陀羅尼助丸」で、これは吉野や高野山でも販売されていたことを憶えている。

「陀羅尼助」は四国の石鎚山などの山岳信仰の山伏の世界でも重宝されたそうだが、天保時代の川柳に「陀羅尼は まずは腹より顔に効き」と言うのがあったそうで。それは独特の苦みを表現しているようだ。

さて、今日のニュースで目に留まったのが大阪城公園内にあった売店の脱税問題で、大阪国税局が大阪地検特捜部に告発し、在宅起訴になっていたことである。地権者であった豊国神社側も再度賃貸契約を結ぶことはないだろうし、マスメディアで知られてしまった以上オープンしても営業が成り立たないと指摘されていた。

脱税は発覚すれば最悪となるのは当たり前だが、羞恥心の欠落が最悪の想定が出来ないからだろうと思っている。

今日の写真は「陀羅尼助」の丸薬である。
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