2018-10-27
NO 8352 短編小説 あの頃 ⑤
「教えて欲しいのだけど、いつも力が抜けなくて緊張してしまってミスショットが多くなるので困っていてね」それは、会計士の質問で、ドラちゃんが「任せなさい」と言うような得意げな表情で語り始めた。
「あのねえ、騙されたと思って試してみて。ティーグランドで自分の打順を待っている時、クラブを握って肩にいっぱい力を入れて待つんだよ。この時のグリップに重要なポイントが秘められていてね、試してみたら絶対にびっくりするから」
肩に力を入れて待ち、自分の番が来た時に解いて肩の力を抜けば確かに力が抜けるであろう。このメカニズムは理解出来るが、秘められたポイントとはいったい何だろうと周囲の誰もが興味を抱き、期待感を持ってドラちゃんの次の言葉を待った。
「そんなにシーンとなったら困るなあ。緊張するわ。実は簡単なことやけどそれこそお勧めだから試してみなよ」
ドラちゃんはシーンとなった雰囲気に満更ではないようで解説してくれた。それは待っている間に握っているグリップのことだが、いつも自分が握る場所と違う細い部分を握ることで、握り難いし気持ち悪いとも感じるそうだ。
「打順が回って来ていつもの部分でグリップしてみなさいよ。そりゃあしっくりと感じるから」
水野はドラちゃんの持論が的を射た説得力があることにびっくりし、内ポケットから手帳を取り出すとメモとして書き込んでいた。
吉村は学生時代に大学のゴルフ部で活躍、当時からオフィシャルハンデ0というのだから凄いが、その吉村から上達の早道を教えて貰ったのがドラちゃんで、金村はダンプカー一杯の練習から至った違いがあった。
「僕も、もうちょっと早く吉村さんに出会っていたらよかったのにと思っているよ。今のドラちゃんの話を2年前に聞いていればハンデも半分にはなっていただろうね」
それは金村の正直な思いだったが、明日からのゴルフに大きな変化を与えてくれるのは確実で、これまでに見せなかったような明るくて嬉しそうな表情でご機嫌だった。
そんな金村に「金村さん」とドラちゃんが話し掛けた。金村はバンド仲間でないので名前を呼ぶ時のニュアンスが少し異なるが、ドラちゃんの店の主催するコンペにも参加しているので客より友人という存在になっていた。
「吉村さんに教えて貰ったことだけど、ゴルフは『あるがまま』で自然との対峙、前にプラス思考のことに触れたけど、雨や風という自然もプラス思考に考えるべきと語っていたことが印象に残っているけど、それは風雨が他の競技者にも平等に被らせている事実があり、『嫌だなあ』と感じるマイナス思考じゃ駄目なんだな」
「ドラちゃん、僕も吉村さんに教えられたことがあって実践していることがあるよ。それはね、ディボット跡や荒らされたままのバンカーにボールが入っても決して怒らず、自身に与えられた試練と考えるようにと言うことだったよ」
この話を耳にして水野は吉村らしい考え方だと思い、ゴルフにも性格が出るもので、自然との対峙ということが心に残った。
それから半月後、水野の会社にやって来た金村が念願のゴルフ場の入会手続きが終わり、キャリーバッグ、帽子。ボストンバックなどに付ける自分の名札を嬉しそうに見せてくれた。
水野はドラちゃんの言ったアドバイスを思い出して練習場で実践し、これまでと見違えるようなボールを打つことが出来ているところからスイングを重視するようになり、急に上達したような不思議な思いを抱いていたが、金村も初めて参加した月例競技で3位に入賞したそうで、2人はドラちゃんから教えられた哲学が開花しているようだった。
毎週土曜日の午後8時から地域の会館でバンドの練習が行われていた。それは地域のイベントなどで協力していることもあり、特別に会場として利用させて貰っている訳だが、練習が終わってからゴルフの話題になった。そこで吉村が持ち出したのは金村が入会したゴルフ場のことで、数日前にラウンドしたら素晴らしいコースだったと語っていたので水野も金村の顔を思い出して嬉しくなった。
それから3カ月が過ぎた頃、水野、吉村、金村の三人が揃ってドラちゃんのカウンターに座っており、ゴルフを中心にした近況を語り合っていたが、ドラちゃんと吉村のやり取りに気になる問題が出て来た。
「おかしいと思わないか、たかがゴルフという遊びだ。イギリス発祥で紳士のスポーツだと言われているけど、会員権相場の金額は異常だと思うよ」
それは、吉村の発言で、ドラちゃんは吉村がメンバーとなっているゴルフ場を例に出して話し始めた。
「吉村さんのゴルフ場なんて2億数千万円だもんね。一財産で家は建つし高級車を買っても十分にお釣りが来る。そんなところでクラブを振り回しているのは正常でないと考えるべきかもしれんな。このまま続くのか、それとも何れ凋落する時代が来るのか、神のみぞ知るということだけど」
そんな言葉を耳にした金村が、ふと不安そうな表情を見せた。考えてみれば彼は高額な借入金で入会しており、会員権相場が下がれば借入金の返済もあり大変なことになるからで、それに気づいた吉村が、金村に安心させるような発言をした。
「あれだけの素晴らしいコースが値下がりすることはないと思うよ。ゴルファーの中でも評価が高いし」
それを聞いた金村が嬉しそうな表情になり、「そうだよね。そうあって欲しいよね」と言うと手にしていたジョッキのビールを一気に飲み干した。 続く