2018-10-29
NO 8354 短編小説 あの頃 ⑦
「私の入会しているゴルフ場は現在3500万円の相場なのだけど。数日前に月例競技に出場したら同伴競技者が投機目的から奥さん名義で入会させたそうで、下がるかもしれないのにと言うと『6000万円程度まで行くと思うよ』と笑っていたよ」そんな異常な社会環境になっていたことも事実で、家賃収入を目的に新築のワンルームマンションを購入している人も多く、誰が考えてもややこしい不動産販売が登場していたし、北海道の原野が投機の対象になっている報道も流れていた。
株式の売買も活発で、日経平均株価の高騰ぶりは一部の経済評論家が「異常」と指摘するようになっていたが、タクシーの車内で運転手さんから「今年入社した証券会社の社員が封筒が立つ額のボーナスを支給されたと語っていました」と聞くこともあった。
ある日曜日、妻が実家に帰っているので水野が夕食を食べにドラちゃんの店に来たら、ホームコースの月例競技に出場していた吉村が帰路に立ち寄った。
吉村は車の時は飲んだら必ず代行運転に依頼しており、常々から飲酒運転をするような人物とは絶対に付き合わないとも言っており、ゴルフ同様に厳しいマナーを遵守する性格だったが、車でやって来ることは珍しく、入店時の表情も何か言いたげで荒っぽく椅子を引くとドスンと音を立てて座った。
「お疲れ様。それで成績は?」
ドラちゃんがビール瓶の栓を抜きながらそう言うと、吉村が立腹しているみたいで、その腹立たしい出来事について話し始めた。
「スタートしてから2番ホールで起きた事件なのだけど、4人がティーショットをしてセカンド地点に行ったら、一人のボールが見つからなくてね、後続組がティーグランドまで来ているのでロストボールで打ち直しに戻ることになったのだけど、また同じ方向に飛んできてラフの中を探していたら、一球目のボールが発見されて『あったわ。セーフだった』と喜び始めたので『それは駄目です。打ち直しをした時点で2球目が正球になるのですよ』とアドバイスしたら怒り出してね。『セーフじゃないか』と言うので、それを認めたら同伴競技者も失格になるから認められませんと言い切ったのだけど」
ボールを探せる時間は5分というルールで行くとロストボールで打ち直しが当たり前だが、もしも1球目のボールを選択してプレイを続けたら誤球扱いとなり、次のホールでティーショットを打った瞬間に失格となる訳である。因みにこのケースが最終ホールの場合には次のティーグランドがないところから、グリーンを離れた時点で失格となると吉村が教えてくれた。
「ハーフが終わってクラブハウスに戻って手を洗って食事になるのだけど、その人物の姿が見えないと思っていたら。キャディーマスター室の若いスタッフを伴ってテーブルにやって来て「確認したらセーフと言われたよ」と立腹している。こんな初歩的なルールが理解出来ないメンバーも情けないが、アドバイスをしたスタッフにも信じられない愚かさを感じてね、早目に食事を済ませてフロントのスタッフに伝え、キャディーマスターから本人に正しいルールの説明をと要望してしまったよ」
「そんな基本的なルールを知らない人が月例競技のAクラスに出場いているのも驚きだね。その人物のハンデは?」
それはかなり呆れた表情のドラちゃんの質問だったが、吉村は「12だったよ」と返した。
Aクラスと言う言葉が出て来たが、一般的なゴルフ場ではAクラスとBクラスに分かれて月例競技が行われており、前者のハンデは15以下、後者はそれ以上となっていたが、メンバーの多いゴルフ場はA・B・Cと3クラスに分けているところも少なくなかった。
ドラちゃんも飲み始めている。吉村が気分を悪くしてゴルフ場から帰って来たことを察して付き合っている訳だが、水野の方に向かってマナーのことを教えてくれた。
「僕も知らなかったのだけどね、ゴルフはルールやマナーに厳しいという言葉があるけど
吉村から教えられたのは『ルールに助けられることもある』ということで、前方に池があって入ったらどうなるのと焦って打ったらミスショットの確率がアップするけど、知っていたらそんな心配ない訳よ。分かるかなあ」
「それもプラス思考ですよね」と水野が答えると、ドラちゃんがご機嫌そうな表情を見せ、
また別の想定について解説をしてくれた。
「例えばね、カート道にボールがあった場合、目前の急峻な土手にドロップするか後方のフェアウェイ側のラフにするかということになるけど、ルールを知っていると優しい方にドロップ出来ることもあるのよ」
ドロップと言うのは救済処置の一つだが、「ピンに近付かない場所」「元のボールに近い場所」の条件が関係し、両足のスタンスとボールの描く3角形で足の場所の選定で難しい方が遠くなることもあるということで楽な方というものであった。 続く