2018-11-03

NO 8348 短編小説 あの頃 ⑫

忘れられないホール「もうちょっとだったのになあ。ハーフ30台はゴルファーの夢だけど、死ぬまでに記録出来るのだろうか?」何て呟いている。それはラウンド当日にこの店に立ち寄り、ドラちゃんに無念さを訴え、「初めで最後かもしれないのに」と嘆いていたそうだが、最終ホールでダブルボギーを叩いてしまって「40」でホールアウトしたものだった。

「あそこで3パットせずにボギーだったら39だったのに。7番のパー3で池に嵌めたのが最悪だった。あそこに池がなかったら記録出来たのに」

そんな岩木に吉村が厳しい発言でアドバイスをした。

「岩木さん、『たら・れば』というのがあってね、ラウンドで『3パットしなければ、OBがなかったら』と振り返れば誰でも30台になるし、大半の人がシングルになれますから」

その言葉を聞いたドラちゃんが、過去に吉村から教えられた言葉を紹介した。それは、ドラちゃんが吉村とラウンドしていて前半のハーフで初めて39を記録した時のことで、「39はまぐれでも出るけど、38はまぐれでは出ないよ」と言うもので、ずっとそれがその通りであることを実感していると神妙そうに返した。

超名門コースのメンバーである吉村のことについて、ドラちゃんは「同伴競技者も選ばれるよ」、だから彼に誘われるようなゴルファーにならなければならない訳よ。

それは吉村のコースでラウンドしたことがあるドラちゃんの自慢っぽい話だが、強ち外れていない指摘で、メンバーとは自身のコースに同伴する人達がキャディーさん達から笑われたくない心情があった。

もうすぐクリスマスと言う頃だった。ドラちゃんの店へ常連客の会計士が来店し、日本酒を飲みながら会計士らいい情報を話し始めた。

ちょっと経済情勢がおかしいよ。顧問先の社長達からの相談が増えてね、どうも銀行の融資に関する姿勢に変化が起きているみたいなんだよ。我々専門家からするとこの数年の金利の問題は異常とも言えるし、不動産の売買価格やゴルフの会員権相場も狂乱と思えるようになった昨今だよ。

それを聞いたドラちゃんはゴルフの会意見相場という言葉に敏感に反応し、自身が会員になっているコースの相場を話題に出して質問をして行った。

「僕のコースも昨日の新聞広告の相場では1900万円になっておりびっくりですが、女房が2000万円になったら『手放せ』と言っているのですが、女の勘かも知れませんね。私はお気に入りのコースですけど如何ですか?」

「異常な世界が正常になるには是正と言う道を歩むと言われているが、相場と言うものは一気に高騰したり乱高下したりするのだから恐ろしくてね、過去の歴史が物語っていることもあるよ」

「先生の予想は如何ですか?」

「大きな変化が起きる前兆を感じているのが正直なところだよ。私のコースはお気に入りなので乱高下しても死ぬまで楽しむつもりだから後悔はしないが、そうなれば私の遺産が減ることだけは確かだ」

会計士はそう言って豪快に笑っている。子供がいない夫婦なので奥さんが遺産相続をすることになるだろうが、奥さんは趣味で始めた特殊な手芸技術が話題になり、今では多くの受講者に指導する立場になっているので自立されており、老後の経済的な問題も心配ないと現実的な話まで出て来た。

半年前のことだが、ドラちゃんは自身が入会しているゴルフ場の系列グループが新規募集を始めた情報を知り、常連客の中川が700万円で入会したことを思い出し、無事にオープンしてくれるように祈りながらもちょっと気になっていた。

それは大晦日の前日だった。テレビ観ているとテロップが流れ、自身が入会しているゴルフ倶楽部の運営企業グループの破綻を伝えていた。

正月を前に予想もしなかった大問題の発生、系列グループのゴルフ場に新規入会した中川の顔を思い出し、自身の責任もあるのではと考え、妻を大声で呼んで事情を伝えた。

時計を見ると午後11時を過ぎている。明日の大晦日は休業となっているので新年開業日となっている5日までお客さんを迎えることはないが、これまでの人生の中で最も重い心情で大晦日と新年を迎えることになってしまった。

「会社更生法」「破産」「破綻」「倒産」なんて言葉が過る新年だが、毎年楽しみにしていた箱根駅伝の中継を観る気もしない新年を迎えているドラちゃんだった。
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