2021-10-13

思い出したこと  ǸО 8908

生駒高原のコスモス前々号の写真の「生駒高原」だが、前日に宿泊していたのは青島にあった橘ホテルで、かなり高級なホテルだった。

ここの夕食で忘れられない出来事があった。お食事処は床になっており、下は海の魚がいっぱい泳いでいる海水の入った大規模な水槽になっていた。

単横の仲居さんが記念にどうぞ」と勧められたので宿泊料金に含まれていると勘違いをしてしまい、石鯛の薄造りを頼んだら、「記念にいかがですか?」と言うべきだったみたいで、チェックアウトの際に高額な別注料金を支払った。

この旅行の企画を担当してくれたのは友人が勤務する旅行会社だったが、帰阪してから友人にその話をしたら「それは誤解するわ」とクレーム対応してくれることになったが、「もういい」と収めて貰った出来事だった。

あれから50年を迎えた。30台を生きられたら幸運だと常々思っていた人生だったが、半世紀も生かされたのだから手を合わさなければならない。妻のいる施設で娘から届いた花を手にして夫婦の社椎を撮影して貰い、プリントアウトしたものをいただいてきたが、互いが「痩せたね」という会話が人生黄昏を語っている。

昨日は朝食と昼食を兼ねて天王寺駅に出掛け、上階にある「天ぷら専門店に入って「うな丼」を食べたが、単品ではありませんと言われたので暖かいそばがセットされた定食を選択し、序に「天ぷらの盛り合わせを頼み、蕎麦の中に入れたら天ぷらそばになった。

今日の朝はいつものモーニングで喫茶店へ行ったが、いつも空いていた近くの店舗が閉まっているので聞いたら、ご主人が倒れられた搬送されたことを知った。

前号で触れた病院だが、その日の内に3人のリハビリの先生が来室され、厳しいリハビリ生活が始まった。

車椅子で初めに行ったのは広い部屋で膝より低い高さにマットが敷かれ、そこで立てるような訓練をするのだが、自力で立てない現実に衝撃が走ったことを憶えている。

知覚に平行棒があったが、しっかりとグリップして支えても歩くことは出来ず、「焦らないように」と慰められたが、突然の機能マヒとは恐ろしいことだった。

二人目の先生は「理学療法士」の先生で、日常生活に差支えがないように手を重視した訓練だった。

数日目に受けた検査が衝撃だった。2メートルほど離れたところに30センチ四方の箱が置かれ、お手玉を左右の手で投げ入れると言うものだったが、どちらも随分と行き過ぎてしまってコントロールが出来ないことを実感した。

3人目の先生は「声」に関するリハビリ担当だった。先生の部屋へ車椅子で行って声を出し続ける発声訓練だったが、のどに障害が発生していて「掠れ」声なので苦しかった。

久世栄三郎の独り言(携帯版)
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