2022-02-28
もうすぐ後期高齢者に ǸО 8837
もう弥生3月になる。誕生日を迎えると万75歳で後期高齢者になる。振り返ってみれば75年間も生かされてきたので驚きだが、結婚当初は40代は絶対に迎えられないと言っていたことを思い出す。10数回の入院体験があるが何れも戻ることが出来たので手を合わせている。12年前に腹部動脈瘤の大手術を受けた際は、覚悟を決めて自分で手術台に上がって医師の皆さんに驚かれたこともあるが、いつも行っている先頭の女将さんに「よく入院するね。でもいつも戻って来るね」と言われた言葉が印象に残っている。
昔のことを懐かしく思い出す中に、小学校1年生の時代に自転車の後ろに箱を乗せたアイスキャンディー売りのことが忘れられない。当時のアイスキャンディーは試験管の中に割り箸を差し込んだ物だったが、1本2円50銭で、5円出すと1円札2階の50銭硬貨が出て来たことを憶えている 。
家の近くに不思議な家があり、10円を持参して不思議な物を買いに行っていた。それは参画の紙袋の物で、赤い鳥居の絵が入っていて紙風船にもなったが、中に落花生が2個入っていたことを記憶している。
赤い鳥居は「お稲荷さん」みたいで、復路を火に焙ると図柄が現れ、そんな謎めいた不思議に惹かれたことを思い出す。
その家の前に瓦屋の窯があり、そこに同級生がいたが、彼は警察畑を歩み、伊勢神宮の警衛のトップに就任したそうだが、それを知って伊勢神宮に参拝行ったが、その2年前に他界していたことを警衛の方に聞いて何とも表現できない寂しさを覚えたことが忘れられない。
小学校の2年生の夏に先生や保護やが一緒に二見へ海水浴に行ったこともきおくしているが、当時の鳥羽駅にはエレベーターのある日和山展望台があったし、列車はSLだったので懐かしい。
大阪の小学校6年生の修学旅行で伊勢へ行ったが、その時に日和山へ上がったし、御木本真珠島へ船で渡ったことを憶えている。
それから数年後、鳥羽駅で大規模な火災が発生し、日和山へのエレベーターも類焼してしまったそうで現在もそのままだが、近鉄特急で鳥羽に停車する旅に昔のことを懐かしんでいた。