2022-08-30

久米島のこと  ǸО 8934

ドニャ・パス号 元「ひめゆり丸」数日前の号で主戦後の沖縄県久米島で起きた悲惨の出来事に触れたが、映像に残されていた特集番組で衝撃を受けた。

久米島についてはもう一つ忘れられない出来事があった。神戸の中突堤から沖縄へ向かった関西汽船の「浮島丸」に乗船し、折からの季節風の強さから猛烈に揺れ、現在の管内空港付近から奄美大島の名瀬港まで、船室でも立てない状況だった。

風や波が治まってから出港をと願っていたが、徳之島や与論島から艀が来ることも有り、定刻で出航してしまった。

名瀬港には湾の入り口に「沖の立神」の存在があり、田畑義男さんや中曽根美紀さんが歌って大ヒットしていた「島育ち」の歌詞にも会って知っており、横を通過した際に手を合わせたことを憶えている。

それから風と波はより以上に強くなり、沖縄本島の見える頃に右手に見える「伊江島」が確認できた時は猛烈な揺れで「降ろしてくれ!」と心中で叫んでいた。

那覇港の泊港に入港する時、岸壁に数千人の人達がおられる光景を見てびっくり。それは久米島航路の「みどり丸」が横転転覆して多数の犠牲者が出ており、救助船や捜索船が戻って来るのを待たれていたものだった。

1963年8月17日の事故だったが、我々が乗船していた「浮島丸」が無事に到着したことが信じられない体験だった。

当時はアメリカ統治でパスポートも必要だったが、序にユースホステルの入会登録して那覇で利用したことを憶えている。

10年ほど前、つくばのホテル・オークラでマッサージを宇kていた時、声帯資産が沖縄のような感じがして聞いたら「沖縄です」と言われて浮島丸の体験を話したら、那覇港で入稿して来る「浮島丸」を診ていたと知ってびっくり。親戚の方が「みどり丸」で犠牲になったそうで、不思議なご縁に心の中で手を合わせた。

沖縄に滞在したのは1週間だったが、帰路は鹿児島航路の新造船「ひめゆり丸」で快適な公開をして思い出に残っているが、西鹿児島駅から東京行の「急行霧島」で帰阪したSLの体験は二度と体験したくない列車旅で、帰宅した時は顔が煤で真っ黒になっていた。

戦績㋾追い掛けて知ったことだが「浮島丸」売却されてから小笠原航路に活用されていたが、「ひめゆり丸」はフィリピンに売却され、違法な改造をされて大勢を乗せて航海中、ガソリンを積載していたタンカーと衝突して海が火の海となり、沈没した歴史があった。

「浮島丸」も「ひめゆり丸」も貨客船で2600トン程度の船だったが、私の人生の1ページに残っている出来事である。
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