2024-07-12

思い出したこと  NО 10086

N昨日の水曜日、妻の友人から電話があった。妻が茨木市の病院に勤務していた頃に知り合った方で、ご夫婦のご趣味が登山とハイキングで何度か京都の愛宕山に登っていた。

「奥さん御元気ですか?」と聞かれ、昨年の12月に亡くなったことを伝え、知らせなかったことを詫びておいたが、考えてみれば知らせていない人がいっぱいいることを思い出した。

妻がずっと昔から通っていた美容室にも知らせなかったが、和服ばかり着ていた妻が出掛ける場合は自宅へ着付けに来て貰っていたこともあり、何度か食事をご一緒したこともあった。

その美容室もずっとシャッターが閉まっているのでご病気ではないかと気になっているが、私が薬を貰いに行く薬局のすぐ近所なのでずっと心配になっている。

最近、疎開道路を走る救急車の台数が多いので気になっている。隣接していた4軒が立ち退いてしまい、道路の騒音が酷くなったこともあるが、それにしても多いので閉口してしまう。

妻の異変から救急車をお願いたことも何度かあったし、私が大病を患った際にも搬送されたが、そのy時は受け入れ先の病院が見つからず、疎開道路で30分ほど停まっていたことを憶えている。

やっと病院が見つかって「高槻に向かって出発します」と退院が行ったら妻が「大阪市内で探してください」と言い出し、また15分ほど停車していた。

車内の天井を観ながら、「早くしなければ後遺症が」と自信の症状が脳梗塞と理解しており、喉まで症状があったのに水を飲んでしまい、それが気管支に入って苦しい思いが忘れられないが、誤嚥性肺炎を併発して、1か月間高熱が続いて苦しかったことが忘れられない。

脳梗塞は発症から1時間半以内なら点滴で対処することが可能だが、私の場合は停車していたじ時間が長かったし、病院ンが新大阪駅の近くだったので随分と離れており、救急外来で搬送されても時間がオーバーしており、後遺症が残ってしまった。

「延髄損傷」「脳幹損傷」「左半身麻痺」「温覚痛覚麻痺」「複視発症」「誤嚥性肺炎」「呂律回らず」「顔面麻痺」なんて医師たちの会話にゾッとしたが、奇跡的に退院出来たのだから「生かされている」と感謝しなければならない。

忘れられないのが病室に戻ってベッドに寝かされて直ぐに発生した大きな地震で、ベッドの上に座ることも出来ない状況で、病室の扉が勝手に開いてしまったのを観て細工だと覚悟したのをはっきりと覚えており、テレビのニュースで震源地が能登半島で、大阪の震度が4だったことを知った。

ユーチューブで卓球の丹羽選手の映像を観たが、信じられないスーパープレイに関局がびっくりする様子が観られた。

私も卓球選手だった時代があるので彼の技術が異次元であることを理解できるが、まあ信じられないレベルである。

前号で触れた西鉄の特急だが、荒尾の友人の会社から奥さんの運転する車で大牟田駅までお送っていただいたことがあるので手を合わせる・幸子さん有難う。
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