2024-08-06
不思議な出来事 NО 10104
初孫が誕生してから、よく会いに押し掛けた。新幹線で東京まで行き、八重洲口からバスで筑波に向かったのだが、往路は1時間でも袋尾は渋滞で3,4時間が当たり前だった。
妻は水泳教室に通っておりホテルのメンバーになってプールによく通っており、「おーくら」でもいつも孫とプールで泳いでいた。
そんな妻が更年期障害で体調を崩して入院した時に、私一人で筑波に行ったことがあった。
地下のレストラン街で食事をして部屋でマッサージを受けるのが楽しみだったが、ある時に来られたマッサージ師の方が何か沖縄風の感じがしたので「沖縄ご出身ですか?」と聞いたら「そうです」と言われ、私が高校2年生の時に沖縄へ行き、現在の関西空港の辺りから船酔いして那覇港まで何も食べられなかった体験談を話し、その時の強風が恐ろしかったことと神戸の中突堤から関西汽船の「浮島丸」に乗船したことを伝え、那覇の泊港へ入港した際に数千人の人達がおられ、パトカーや消防自動車などが並んでいたことを伝えたら、「私はその数千人の内の中の一人で浮島丸が入港してきた姿も憶えています」と言われてびっくり。
その数千人人達がおられたのは、強風で那覇から久米島へ向かう高炉の「みどり丸」が横波を受けて転覆した事故で多くの犠牲者が出ていた。
この海難事故は後年に知ったのだが、みどり丸の船員が漂流しているのを貨物船が救助してわかったのだが、無線がなくて那覇港へ到着してから報告したというものだった。
1963年8月17日の事故だったが、百人を超える義映写や行方不明者があったそうで、そのマッサージ師の方もいとこが乗船されていたそうで犠牲になったと話されていた。
こんな不思議な出会いもある訳だが、筑波から東京駅を結ぶバスのことに触れておこう。
今は秋葉原からつくばエクスプレスが開通したのでバスの本数も減ったが、我々が八重洲から乗車した頃は15分おきに発車するのに積み残しが出るほど利用客が多く、それを解消するために関東バスとJRバスは2台ずつメガライナーと呼ばれる超大型バスを導入し、その対応に行動した。私も何度か乗ったことがあったが、上野の近くから首都高へ入るとアナウンスが流れ、特殊なバスで決められたインターしか利用できない問題があり、渋滞があっても降りられないのであらかじめご了承をと言われるのだからびっくりだった。
ある時、筑波へ出掛けていた妻から電話があり、深夜のバスで帰るから阿倍野まで迎えに来てと言われた。阿倍野のバス停はハルカスの前で、午前8時半ごろに到着するはずだったが、午後0時になっても到着せずどうなっているのだろうか思いながら帰宅したら、午後3時頃に妻が帰宅して、遅れた理由を聞いて衝撃を受けた。
メガライナーのバスで深夜2時頃に東名を走行していた時に変な香りがして、前席の若い男性を起こして伝えたら男性が階下の運転手席に伝えて次のパーキングエリアに停車して全員が下りたと同時に煙が出て火災になってしまって全焼したというのだった。
その後にも同型車の火災事故が起きてメガライナーの運転はされることはなくなったみたいだが、妻が大勢の人達の命を救ったことになるかもしれない。