2024-08-15
歴史から NО 10109
強い勢力で台風7号が関東に接近中で、娘ファミリーが在住する地をお通過するみたいで気になっている。最大瞬間風速が60メートルだそうで、私が亡くなった妻と体験した台風21号の恐怖を思い出す。疎開道路側の4軒が立ち退いてい待っているので、今ならもっと怖かっただろうと想像するが、大きな台風が襲来すると判断したら我が家の東側にある生野工業高校へ避難することも考えなければならない。
今日は終戦記念日だった。数日前にNHKテレビの番組で戦艦大和を特集していたが、乗組員だった吉田さんが奇跡的に生き残り、体験談を手記として著書になって話題になったことも紹介されていたが、京都大学から学徒動員で乗艦し人物が、「世界三大無用長物」として「万里の長城」「ピラミッド」「戦艦大和」と指摘されていたことも紹介されていた。
咲夜のNHK番組で甲子園球場の百年について特集していた。戦時中の試合でアナウンスが流れ「赤紙が届いたことを放送」したこともあったそうだが、高校球児達の試合を観ていると平和が嬉しいことを実感する。
私は高校2年生の頃に甲子園球場に行ったことがある。下関商業のアルプススタンドで応援していたが「かち割り氷」を買ったことを憶えている衛。
30代の頃だったが、あるご仏縁から兵庫県のお寺での葬儀の司会を依頼された。参列者数が800人を予定され、その地では開式と同時に自由焼香が出来るもので、大阪のように親族焼香と代表者焼香が終わってヵら参列者の焼香が行われる形式とは全く異なっていた。
私は孫越智の式次第に大きな抵抗感を覚えてしまい、何とかしようと考える行動に出た。その地の形式で進めたら、時間の余裕もあろうが、焼香を終えられたら帰って行かれるのでお見送りされる方々が限りなく少数になってしまう。
葬儀とは焼香が目的ではなくお見送りが重要であり。ご出棺の時まで参列して欲しいと思い、ご遺族とお寺様に式次第の変更をお願いし、開式前から参列者に式次第の流れをアナウンスして実行した。
結果としてご出棺時に400人ぐらいの人がおられて葬儀医院の方々から惨事のお言葉を頂戴したが、その葬儀の故人は公私甲子園球場で記録として語り継がれている明石中学と中京商業の延長25回で知られる明石中学の捕手だった方で、野球関係Ðシャン参列も多くおられた。