2024-09-11
知覧のこと NО 10133
次々に台風が発生するみたいで恐ろしい。大陸の方へ向かった台風11号はかなり発達したみたいで、最大風速65メートルの勢力でスーパー台風になったみたいで、中国やベトナムに甚大な被害を及ぼしたようだ。
今日はリハビリの日だったが、ちょっと体調が優れなかったので休んだ。朝食と昼食を兼ねた食事はUFOの焼きそばにしたが、半分ほどしか食べられなかった。
さて、大阪府下の松原市に移転してしまった生野高校はかつて生野本通り商店街に面していた。卓球部に二人の友人がおりワイワイ交流があったので懐かしい。一人はペンホルダーでかなり強い選手だったがもう一人はカットマンであまり強くなかった。前者は教育大学を経て小学校の教員になっていたが、後者は京都の私学の大学へ行っていた。その彼と会ったのは彼のお父さんが亡くなられて赤十字病院に迎えに行った時、守衛室の横に彼が立っていて「どうした?」と聞くと、そこで彼のお父さんが亡くなったことを知った。そんなことから彼は大学を中退し、実家の仕事を継ぐことになったが、彼とはその後に信じられない出来事があった。
大晦日に我が家に遊びに来ていたのだが、紅白歌合戦が終わってしばらくした時、電話が鳴って対応したら葬儀の依頼で、ご自宅の住所を伺ったら今我が家にいる友人の名前を言われ、あなたのお友達の隣です。都言われてびっくり。20分ほどで参上しますからと伝えて電話を終わり、おまえのとなりのお婆ちゃん亡くなられたぞ。と言うと。「えっ、正月はどこも行けなくなったなあ」と嘆いていた。
彼は受付などを担当しなければならず近所の人達と葬儀委員をすることになった。
其れから数年後、彼の結婚披露宴の司会を担当することになったが、それからしばらくした頃、彼からある会合のメンバーになってくれと誘われた。
それは、自転車の関係するメーカーさん達の集まりで「頼母子を兼ねた旅行会で。毎月寺田町駅の近くにあった魚重という料亭に集まる会合だった。「グリップ製造の社長さん」「サドルメーカーの社長さん」「スポークメーカーの社長さん」などがおられたが。私だけは異業種で欠員が一人出たので異業種を入れようとなったそうだった。
初めて会合に行った際にそれぞれの方々と名刺交換をしたが、おひとりが「七五三さん」という方があり「しめさん」とお呼びすることを知って驚いたことを憶えている
初めて一泊で旅行会が開催され、鹿児島空港へ飛んで桜島のふるさと温泉で宿泊する行程だったが、次の日に指宿の砂風呂に行ったし、知覧の資料館にも初めて行った。
知覧の特高史料館で目にした手紙の内容は衝撃だった、学徒動員の若者が特高に出撃する前に遺書として両親に託す手紙が多かったが、文字の美しさ、文章の内容の素晴らしさに感動し、当時の若い人達の教養に衝撃を受けた。