2024-09-24
忘れ られない出来事 NО 10141
繎々号で触れた友人のお母さんからの電話だが妻が亡くなったことを伝えた際、体調を崩されて同じ病院に入院されていたそうでびっくり。こんなご仏縁もあるので分からないものだ。
その友人の奥さんになっている女性を紹介したご縁も私でありそんな関係から結婚披露宴の司会を担当したが、奥さんのお母さんが地域の女性員の住職にあった方で、いつも背中に思い物を乗せているような感じがしていた。
卓球からしばらくした頃、喫茶店で偶然に逢い、最近は何をしているのだと言うことになって、当時にブームになっていたボウリングが話題になり、その日の深夜にミナミの「サンボール」に行ったことを憶えている。
ボウリングを通じて知り合った人物だそうでN氏という人物を消化してくれたが、すぐに意気投合して妻も含めて交友が始まった。
彼は事業化で、イタリアンレストランやピザチェーンをやっており、不動産会社も経営していて可也のやりてであった。
ある時、不動産で入手した土地が1週間で売って欲しいという出来事があり、高額な不労所得が出たことがあり、「こんなあぶく銭は使わなければならない」と友人を通して京都の茶屋町遊びでもしようとなり、一見さんでは受けてくれないのでご仏縁のあった京都の名刹の住職の紹介で祇園の茶店に行った。
当日はとても緊張して行った3人だったが、舞妓さん、芸子さん、地方さんなどの茶屋遊びの体験は新鮮で、大いに盛り上がった宴となった。支払いは全てその友人がしてくれたが京都から枚方の彼の自宅を経て大阪までタクシーで帰って来た。
その友人だが、それから間もなくの頃「食事衛押したら喉が痛くて呑み込めない」症状から入院し、友人が見舞いに行ったらもう面会謝絶の状態に陥り、その数日後に亡くなってしまった。
葬儀でナレーションを担当したが、そんな辛いナレーションは最悪で、その場を逃げ出したくなる環境で、私の生涯で最も悲しいナレーションだった。
その友人とは面白い出来事があったので明日の号で紹介しよう。