2024-12-17
一週忌 NО 10147
昨夜に銭湯へ行ったが、体重測定をしたら900グラム増えていた。ちょっと食生活に神経を遣っただけだが、効果覿面みたいで嬉しくなった。記念に測定した体重を書いておこう。「58,6キロ」
何か食べないといけないので「UFO」を夕食に食べた。昼食は娘が来ていたので佐賀県から届いた「温泉湯豆腐」を「ゴマダレ」で食べたら美味しかった。
ゴルフ仲間の「甘党の店に行くけど何かいる?」と聞かれたので「きなこだんご」を頼んだら間違って「みたらし団子を持ち帰って来た。もちろん食べたが、炊事場が散らかって、次回に来られるヘルパーさんがお気の毒だ。
昨日は桃谷の眼科へ行って来たが、いつもの瞳孔を開ける点眼液を入れられて夕方まで眩しかった。次回の予約は3月に入れて来たが、カレンダーに書き込んでおかなければ忘れるので気を付けよう。
今日は妻が亡くなってから1年目の命日だ。あっけない最期だったので衝撃を受けた。施設に入っていたが体調が悪いので母体となっている病院へ入院する。と連絡があったのは11月の終わり頃だった。何度か病院へ行っていたが、「芳しくないのでお越しください」
と電話があって飛んでいいたら。病室へ通され、スタッフの方から「昨夜から心臓の数値が悪いので」と言われ、ベッドの傍にいたら「ちょっとあれをご覧くださいと言われた先にあったのはドラマなどでよく見るテレビ型の画面で、心電図の動きが見える器具だった。
「手を握ってあげてください」と言われて慌てて握ったが、びっくりするほど冷たかった。
それから5分も経たない内に「心臓が弱っています」と言われて画面を見てたら、横簿状の線がぷちーんと停まってしまい。スタッフの方が時計を確認されて「ご臨終です」と言われ、担当医に知らせに行かれた。
振り返ってみれば外出時に倒れて救急車で大阪警察病院へ搬送され、その後第二警察病院へ転院。そして天王寺の大阪鉄道病院へ転院し、丁度コロナの全盛期で天王寺駅の構内も閑散としており、病院も玄関が閉められ、守衛室を通って面会する様になっていた。
そこで行動したのがスマホを持たせることで、「寺田町の「AU」で契約をして持たせたしたのだが、使い方が分からずにどうにもならず、すぐに契約を解除することになった。
一度は自宅へ戻ることが出来るだろうと期待していたが通夜葬儀を終えて「御骨」で帰っ来ることになった。
臨終時に手を握っていたことだけが救いだったが、こんなことになる前に妻が拾ってきた猫を施設に連れて行って見せてやるべきだったと後悔している。
その猫も今年の3月に亡くなってしまって寂しくなったが、妻との最後の会話が出来なかったことは何より悔しい。
朝からsy歩用があって感情Ð戦と京阪電車を乗り継いで難波橋まで行って来た。シニアカーに乗らずに歩いて寺田町駅に行ったので、帰路で限界を感じ、勿体ないがタクシーで帰って来た。しばらくすると消防車の音が聞こえ、近くだったのできになっていたら、友人の割烹も延焼しているようで衝撃を受けた。
昨夜遅くに宅配が届き、高知県ンお丘崎葬儀社さんの社長さんからお供えの立派なお花を頂戴した。娘が備えて行った花の反対側に置いたら賑やかになった。四国の四万十川を観に行った際、窪川駅から「特急あしずり」で高知に立ち寄り、丘崎社長さんと2時間ほどお話が出来たが、私が死んだ際には彼女に全てのプロデュースをお願いしたいと思っている。葬儀全般の知識や技術やセンスの長けた綾町の存在は衝撃的で、私が松山での講演の帰路に電話を掛けて立ち寄ることになったが、その時に拝見した彼女の様々な世界は今でも心に焼き付いている。
顔所の会社でパソコンの写真技術の研修会を行ったことがあるし、東京や北海道での研修会でもいっぱい学ばせていただいた。
妻の命日だとご記憶くださる方々から多くの電話が懸かって来た。数年前に亡くなった友人のお母さんから施設の居室から携帯電話で掛かって来た。お母さんは100歳を超えられたのでいつまでもお元気でと伝えたが「寂しいね」と言われた言葉が無性に心に残った。
褄の遺骨は我が家にはない。生前から言っていた実家の近くのお寺の納骨所に収められているが、そのお寺の住職さんと妻は中学校の同窓生だった。