2025-01-28

心に残しておこう  NО 10150

木曜日、ヘルパーさんが帰られた青にインターホンが鳴ったので玄関に出たら、数年前に立ち退きで転居された近所の女性だった。

娘さんに伴われてきたが認知症が始まったのでどう対処するべきかを悩んでいるとのことで、ヘルパーさん訪問も固辞され、デイサービスや高齢者施設は絶対に嫌だと言われているみたいで娘さんが困惑されていちゃ。

世界経済に「オイルショック」があったが、現在は自身の身にも「老いるショック」が押し寄せてきて参っている。

ぼちぼちと転居の準備を始めているが、数日前、リハビリに行ったら高齢女性に声を掛けられ幾つ?」と聞かれたので3月で78歳というと「若いわねえ。私は95歳よ。脚さえ丈夫なら文句はないんだけどだんだんと歩けなくなってきたので困っているの」と嘆かれていた。

リハビリ仲間の女性から転居するなら近くでねと先生を介して言われたみたいだが、私が関東へ行くみたいに伝わっていたみたいだ。

関東へ行くのを止めて近くに転居をしようと数件の物件を観に行って来たが、シニアカーの駐車スペースと充電の問題があってハードルが高くなっている。

ヘルパーさんにお好み焼きを買って来て貰って食べたが、キャベツの高騰で芯がいっぱい入っていて閉口した。


人生を振り返って葬儀音楽のCD慣習に取り組んだことは忘れられない。天才的な音楽家の女性と出会って品sリオを描いて作曲を依頼したものだが、控室から式場へ向かう廊下で覚悟した奥さんの心境「あなたのために多くの参列者が来られていいます。あなたの大切な葬儀が始まりますが、しっかりと喪主を務めます。あなたとの思い出がいっぱいありますが、あまりにも悲しすぎますからその思い出の少しだけ棺の中へ納めます。あなたの逝かれる遠い国柄と運んでください」なんてシナリオを描いたことを憶えている。

仏教行儀作法の中から「献灯・献花・献香」を学び開式前にその儀式を導入したことから全国的に広まったが、その曲には様々な条件をお願いし、「巫女さんと天使がお手伝いを擦りイメージで」と書き添えていたが感Ð制した今日「哀惜の花達」を聞いてかわいさと優しさを加味したいとリズムにハープバージョンを入れる編曲をしたら見事にイメージが出来上がったことも忘れられない。

編曲は他に彼女自身が何度も演奏した多重録音で出来上がって行ったものだが、9曲のマスターテープが完成した時本当に嬉しかった。

そこに私の作曲「逝かれし人へ」を加えて感性となったが、彼女は悲しみの心を癒し慰めるための曲「時空の彼方」をヒューチャーされていて何度も聴いたが、その素晴らしい旋律の完成に感心したし、私の「逝かれし人へ」が「きんさん・銀さん」の葬儀でご出棺の時に流されているのをニュース映像で知り、びっくりしたことも懐かしい。

冒頭の立ち退いて行った方の先代さんの葬儀の日が昭和天皇の「大喪の礼」とどうじつになり、「国民は正午に黙祷を」と言われていたし正午のご出棺だったので、録音資料の中からNHKの第一放送の寺宝を知だし、スピーカーから流しご出棺と合わせて黙祷したら参列者に話題となったことも忘れられない。

その曲たちをCDにして世に出す段取りを進め、ジャケットの打ち合わせをしていた時に、友人のクリエーターが来社「何をされているんですか?」と聞かれたのでジャケットの話をしたら「私に任せてください」とマスターテープを持ち帰って1週間で完成させますとなった、

1週間後、彼女と事務所で待っていると彼が来社。テーブルの上に「慈曲」というタイトルが入ったCDジャケットを立てバージョンと横バージョンの2種類を置き、立てバージョンにしたら演歌のイメージになってしまうので横バージョンでと言われ、納得して決定した。それが慈曲」のスタートになったのだが・彼はクリエーターの世界では著名人で、武者ピアノのCMが流れたら「赤ちゃんが泣き止む」という番組の仕掛人で、見事な致死伝説を作っていたし。北海道や九州の仲間が来阪し、会食後にクラブへ行くことになり彼を誘ったら「急ぎの仕事があって。出来上がったらご一緒します」となったのだが、我々がクラブに入って15分もしない内にやって来て「完成しましたので」絽作品を見せてくれたが、その見事な完成度に衝撃を受けた。

それはJRの各駅に貼るポスターだったのだが、山の教養の中にキリンを形どってキリンが来てくださいと語っている構図となっており、広告作品の賞を受賞した作品になっていた。

阪神淡路大震災から30年を迎えていたが、あの地震から数週間後に神戸の公交詢社さんと弊社が主催して大阪で研修会絵お開催することになり。初日に吉田社長に講演をお願いしたが、涙なしでは聞けないお話で、2500人以上を対応されたそうで今でも語り部としてご活躍をされていたらと願ってしまう。神戸市の公館で何度も追悼式が行われたが、10年目の時は両陛下がご出席されることになり、前日の設営時に公館に行き、リハーサルで天皇陛下の役をして入場したら「陛下はそんなに早く歩かれません」と宮内庁の方に指摘されたことも懐かしいが、車のナンバープレートや参加するスタッフの氏名を前もって届け出を行い、それぞれが首から身分証を掛けて出入り巣の厳しさだったので印象に残っている。

「慈曲」の中の「哀惜の彼方」を使用して献灯を行う場合、全国で流行している中私だけの拘りがあるので触れておこう。それは添加するマッチのケースで阪神大震災の日が刻まれており。神戸のメモリアル寒に立ち寄った際に入手してきたものである。

リハビリの送迎車で会社の横のにょこのマンションに立ち寄るが会社の玄関に並ぶ白と赤の幟を観て衝撃を受けた、スーパーの大売り出しかパチンコ店美開業と見間違うような雰囲気で、誰の発想でこんな愚かなことをと嘆き悲しんだが、我が家のポストに入っていたポスティングの内容に「式場利用優待券が入っていたので衝撃だったが、私と交流のある葬儀社の創業者が人の最後に従事する仕事だからスーパーみたいなチラシは絶対にするなと言われ、今でも頑なにその企業理念を遵守している事実をここに書いておこう。

阪神淡路出汁震災は恐ろしかった。睡眠薬を服用して午前8時前まで起きない私が5時46分の強い揺れで目が覚め、天井の和風蛍光灯が何度も天井に当る姿や家がギシギシ手きしむ音に倒壊すると覚悟したことを鮮明に憶えているし、すぐに2階へ上がってテレビを付けたらNHKの宮田アナウンサーが「強い地震がありました、伝えられていたのを憶えているが、其れから30分ほどして阪神高速の効果が落ちている映像を観て衝撃を受けた。
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