2025-08-03

しんどい毎日  NО 10197

朝から津波の刑法でびっくりした。20日ほど前にカムチャッカ出大きな地震が発生していたが、まさかこんな大地震が発生するとは予想しなかった。

震源地が国内で中ってよかったと思うが、ハワイや奄美大島まで及んだ津波のパワーに改めて恐怖を感じた。

初孫ちゃんが高校生の頃、アメリカ生まれの二人目の窓と二人でやって来たことがあった。初日は法隆寺と薬師寺に連れて行き、東大寺に参拝し、本堂の中にある穴の開いたはしらをくぐっていたことをおぼえている。

2日目は二人目の孫の要望で熊野古道へ行、ジェット背にも乗ったが、往路のオーシャンアロの車内で座席の背もたれに入っていたパンフを読んでゾッとした。

それは海岸に沿って走行するこの国戦の地震の際の避難方法の説明だったが、津波警報や注意報が出たら、列車が停止し、山側へ登って避難というものだったが、杖を手にする私の身体では絶対に無理で、高齢者考えていない対処に衝撃を受けた。

昨日の津波情報でも列車の運転が停まりマニュアル的な非難が行われたと想像するが、孫達と行った際で中ってよかったと思った。

新宮駅からバスで遡り、道の駅のバス停でジェット船の乗るようになっていたが、熊野川は40メートル下に流れており、紀伊半島の大水害の時は道の駅も被害が出たそうで驚きだった。

那智の滝、青岸渡寺などに参拝してバスで勝浦駅に戻って来たが、ホテルへタクシーで行こうと乗ったら女性の運転手さんで、すぐ前からホテルのバスが出ますよと教えてくださったが、太地町のホテルまでそのタクシーで行き、感じのいい方で、次の日に迎えに来て貰って熊野古道の案内をお願いした。

さて、高校野球の全出場チームが決まった。ふと目に留まったのが秋田県代表の彼方李農具王高校で、7年前に吉田旋風を巻き起こした投手の弟さんが投手として代表になっていた。

其の7年前に秋田空港へ飛び、「五能線」の旅をした思い出があるが、秋田空港に到着すると前日に選手たちを迎えるイベントが行われていたみたいで、貼り紙や看板がそのまま残っている光景観たことを憶えている。

その時、フローリングの上に置かれたごみ袋で滑って転倒し、鼻骨を強打して目から火花が出て立てずに2時間ほど横になったが、秋田行は無理だと妻に伝えたら「あなたがいかなかったらだれもわからないから」と言われて鎮痛剤をいっぱい持って行くことにした、五能線の「クマゲラ号で5時間以上を要して青森へ行った車内の激痛は今でも強烈に憶えている。

青森のホテル、ニセコの旅館、幟べ越のホテルと3泊したが帰阪してから妻せえつで通院していた病院で観て貰ったら痛い筈で「あっぱくこっせつをしていたが、鎮痛剤で歯科対応できないと言われてからいまでもときおりにいたく「

次の年の夏、所用があって同じメンバーで熊本へ行くことになり、いつもの行程を減㎜こうして大分空港入りで行くことにした。大分空港上空で機内アナウンスが流れ、空港が雲に覆われて視界が悪く、晴まで上空を旋回する聞いて後悔したが、15分ほどで一部が晴れて着陸出来てホッとした。

リムジンバスで湯布院へ行、足湯には行ったり昭和の記念館などの御行2時間ほど過ごし、日田へ移動するので列車を調べたら、豊後森までしか行く列車しかなく、豊後森駅で1時間待ち合わせて日田行に乗り換えることが判明した。

この日の暑さは殺人的で、豊後森駅の構内で過ごした1時間は最悪だったが、何とか日田駅まで移動でき、大きな下駄の於かれている日田駅のホームを観ながらタクシーでホテルへ行った。
ホテルは三熊川沿いの立地だったが「お雛さんにゆかりがあるホテルで部屋に半露天風呂があったので、何度も入浴して時間を過ごした。

次の日、日田で有名な豆田町を散策したが、衝撃的な暑さで蔵っぽい蕎麦屋さんでざるそばを食べてタクシーで日田駅に戻った。

当時の日田駅は水害の被害から一部に不通区間があり、バス異動を強いられていたが、次の駅までバスを利用して移動し、普通列車で久留米駅まで移動した。

友人のお気に入りの平山温泉で1泊し、次の日に車で柳川まで送って貰い、妻の妹が勤務していた知られる鰻料理の名店で食事を済ませ、柳川の町を散策していたら、ねtっゆうしょうのじょうたいになってしまい、「喜多は白秋記念館」に飛び込んで休ませてもらい、タクシーで西鉄の柳川駅Ⅿに行き、天神から地下鉄で博多駅に移動、指定席を抑えていた「さくら」の出発時間まで齟齬した。

次の年の夏、同じメンバーで福岡空港へ飛び、地下鉄を突ユウで乗り換え唐津駅まで行き、バスセンターまで歩いて移動し、路線バスで呼子バスセンタまで行き、コミュニティバスで世やKしていたホテルまで行ったが、運転手さんが通り過ぎて志摩Uターンして貰った出来事も忘れられないが、この時に利用したホテルは待望画で、呼子大橋のすぐ近くで、名古屋城跡のちかくでもあったが、夕食で出された透明にいか料理に友人が感動していた。

この時の暑さも半端じゃなく、博多駅に戻って「さくら」で帰阪した。

暑い夏にあちこちに出掛けているので自分でもびっくりだが、妻が施設に入る前から想像もしなかった問題が表面化し、法的な係争に発展して弁護士費用や裁判費用を友人達が貸してくれて現在に至り、地下じかに不動産を処分して返済に充てようかと思案中だ。

少しだけ動けるようになったのでお中元を手配しに予定していた店舗に行ったら、日曜日は休日で愕然とした。猛暑の中をシニアカーで往復1時寒走って来たが、手の甲がじりじり焼けるので手袋をはめた.ン

銀行で引き出そうと思ったら、13万円も火災保険が引き落とされている。数か月前に別の会社で契約しているので無駄なことで、勝手に言更新されているので腹立たしい。
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