2025-09-04

思い出したこと  NО 10128

屋根や外壁を叩く雨の音が聞こえる。台風が接近中で、明日の昼頃に近畿地方に影響が有るらしいが、発達しないように願いたい。

今日は紀伊半島を襲った88人の犠牲者が出た豪雨から14年目だ。


高校生と小学生の孫を連れて熊野古道へ行ったのは、その災害から3年後だったと記憶している。新宮駅からバスに乗って道の駅に着き、40メートル下の熊野川に係留されていたジェット船に乗って遡ったが、その道の駅も浸水して大きな被害が出たと知ってしんじられなかった。

利用したタクシーの運転手さんの聞いた話だが、那智勝浦駅も50センチほど冠水したそ3夕刊程度で退院できた可能性があった。

「ご病気は?」と聞かれたので脳梗塞で、と答えると、軽くてよかったですねと言われた。続く会話の中でご主人が脳梗塞で重度の後遺症があって大変だと知ったが、私も30分早かったら何の障害もなく2stys

勝浦には私立のお温泉病院があり、ここはリハビリで知られる有名な病院で、全国から多数の患者さん達がこられているそうで、テレビの特集番組を観て衝撃を受けた。

私も救急搬送された病院で1か月、転院した病院で3か月のリハビリ体験があるが、この番組のことを観ていたら勝浦温泉病院ににゅういんしいいていた思う。

疎開道路に停まった救急車が行く病院が見つからず、30分ほど停車、やっと「見つかりました高槻の病院ですが出発します。」となったのに同乗していた妻が「高槻は通うのが大変ですから大阪市内でおねがいします」と行ったので、も王30分とまったままになってしまった。
やがて新大阪駅の近くの病院に搬送されたが、検査を受けてからの石や看護師さん達の会話を耳にして人生が終わったと覚悟した。

「脳Kン損傷、延髄損傷、呂律回らず、顔面麻痺、嚥下障害、複視発症、左半身麻痺、右半身婚トロル不可能、誤嚥性肺炎」なんて言われ、左右の人差し指で花を触ってくださいと言われても手が頭部の方へ行ってしまうのだから情けなかった。入院した次の日からリハビリが始まった阿賀、平行棒の所で立つことも出来ず、前日まで出来ていたことが何もできなくなってしまった衝撃は忘れられない強烈な物だった。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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