2025-09-08

思い出したこと NО 10123

O妻が自宅で療養していた頃、週に2回訪問看護師さんが来宅してくれていた。いつも血糖値を測定するのに指先に針を刺し、血糖値の数値を確認しなくてはならないので大変だった。

ポロの地下道で突然後方に倒れとうぶをきょうだしたことから救急車ゃのお世話になり、大阪警察病院に入院し、その後第二警察病院、大阪鉄道病院へと転院し、病院とケアマネージャーさんのアドバイスで高齢者施設へ入居したが、3日の一回電話があって、部屋の中で転倒したとの報告があって、参っていた。
やがて何度か病院へ入院することもあり、私がリハビリに通うようになった頃に電話があって股関節の骨折で手術をすることになったと聞いて最悪だった。

幸いだったのは私のリハビリテーションの前の病院だったので助かったが、その日は我々夫婦の共通する友人のお通夜の日となり、その旨を病院で津テルト号泣し、「私の分もお見送りしてね」と言われた。



やっと退院できたと思ったらコロナに感染してべつのびょういんんいにゅういんし、見舞いも出来ない状況となった。

老々介護は大変だったが、しばらくすると歩行時に転倒するようになり、何度か近所で救
急車のお世話になったこともあり、何が原因だろうかと思ていたら、「すり足」気味だったことが判明し、いつも付き添ってフォローする様にしていたが、二日続けて転倒して両手首を骨折してしまい、不思議な格好で過ごしていたことも懐かしい。

天王寺駅の東口の改札のすぐ近くにカレー専門ショップがあってよく通ったが、しばらくすると閉店してしまい寂しくなってしまったが、妻が大阪鉄道病院へ転院した頃コロナ感染で天王寺駅が閑散としていた頃、9番線ホームにカレーショップがオープンし、面会に行った際はちゅうしょくをするようになっていたが、しばらくすると閉店してしまって残念だだった。。

大阪鉄道病院の面会も大変だった。玄関が閉鎖され、道路側の守衛室の所から入り、11階と連絡を取って許可がか阿必要だったのでたいへんだった。

サントリーの会長がサプリメントの問題で辞任された報道があったが、テレビのCMを観ていたらサプリメントが多く、足腰、視力、認知症予防など衝動的に電話を掛けたくなるのでセーブしている。

エアコンが正常になって熱中症のおそれはなくなったが、蛍光灯などの費用を支払ったら現金がなくなってしまい、友人から誘われた食事も一時的に支払って貰っている。

妻の自宅静養の時に、看護師さんの紹介で拓殖をお願いしていた時期があった。昼食と夕食で、かなりこうがくだったことをきおくしているが、薄めの味付けで「美味しくない」と言い出して2か月でやめてしまい、食事は散歩を兼ねて外食になり、四天王寺からて円の宇治駅を回ることが多かったが、2か月ぐらいでやめてしまった。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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