2025-10-20
忘れられない思い出 NО 10137
過日の号で触れた別府ニューグランドホテルだが、現在は名称が変更されて城島高原ホテルになっている。
別府館高校から地獄めぐりのコースを上がって湯布院に向かうと鶴見岳があって近鉄が経営するロープウェイがある。101人乗りの大きなロープウェイで、別府湾が一望できるので景色は最高だ。
一度冬の季節に頂上へ行ったことがあったが、猛吹雪に積雪ですぐに折り返して降りて来たことを憶えている。
鶴見岳を過ぎてしばらく行くと湯布院に着くが、そこからしばらく行ったところに城島高原があり、何度もゴーカートに乗ったこともある。
城島高原を過ぎてしばらく行くと左側に湖が見えてくるが、山下子と言って素晴らしい景観に目が奪われる。湖畔に立っているホテルが苦渋レイクサイドホテルで何度か宿泊したが、1975年の4月21日に発生した大分県中部地震で1階部分が崩壊してしまい長い間建て替えされるまで休館んしていた。
この山下子では忘れられないハプニング事件があった。長女が妻ぼお腹にいて7か月目の頃だった。ボートに乗ることになって妻が乗り込んだのだが、桟橋の手摺を握ったままボートをけってしまったので湖水に嵌まりそうになっている。私は手摺を持ってボートを桟橋に寄せようと必死に頑張って何とかなったが、この様子を県せつぁ業員たちが観ていたのにだれもたすけに来てくれなかった。
新しく立て直されてオープンしてから半年ぐらい経った頃、所属しているライオンズクラブの旅行で阿蘇プリンスホテルと苦渋レイクサイドホテルを利用してふつかかんごるふこんぺがおこなわれっることになったが、私と結婚式場の総支配人とオフィシャルハンデが0という人物の3人はプリンスホテルには宿泊せず、次の日の朝の飛行機でくまもとくうこうへいくことにしており、伊丹空港でまちあわせていた。
離陸して20府ぐらい経った時、アナウンスが流れて熊本空港の天候が悪く、福岡空港へ降りることもあると言ったのでびっくりしたが、私が福岡空港ならレンタカーでプリンスホテルまでの経路を知っていると言ったら「よかった」とほっとしていた。
幸いにして大雨は降っていたが濃霧が少し治まり、熊本空港へ着陸してタクシーでホテルに向かったが、其れこそ豪雨という状況で、反芻の人が止めようと言っていたが、ハーフだけラウンドすることになった。
そんな悪天候の中、私は30代で回って誰もが驚いていたが、クラブを短く握ったことが功を奏したようだった。
ハーフが終わって入浴してから会食になったが、日帰り組は食事が終わるとタクシーで熊本空港へ向かて帰阪したが、次の日に山下子でラウンドする人たちは観光バスで向かわれたそうだが、帰阪してからの例会で濃霧が酷くてキャディーさんの笛の音を頼りにらうんどしたことをしったが、ホテルは良かったと言われていた。
大分県津裕ぶ地震は結構多いそうで、熊本地震が発生した2007年6月6日、7日の地震は震度6 、震度7だったのだから大変だった。
当時夫婦そろってっ櫓炬燵で横になっていたが、テレビのテロップに熊本で震度6と流れたので妻に伝えたら、「ふーん」といっただけだったが、その頃つまのじっかは大変な状況なっており、次の日の地震で危険と判断され立て直されることになった。
隈本駅チックに在住する友人夫妻も大変な目に遇い、離れが倒壊してしまい、聞けなので車で寝たそうだが、スプリングの揺れで気持ちが悪くて眠れなかったと言っていた。