2025-11-30
小の月、大の月 NО 10159
テレビ番組の中で、「小の月」
に関する出題があった。コメンテーターが「西向く士」と解説していたが、出演して居t亞芸人が「士」に行いて「どうして?」と再質問紙、「十」と「一」を合わせてと言ったら「なるほど!」と感心していた。
これまでに数冊の著書を世に出しているが、二冊目に出した「「小説葬儀屋七万歩才あの世の旅」はまさしくこの小の月」と大の月」モチーフにしており、久し振りに触れておこう。
「大の月」の語呂合わせはあまり知られていないが、「いざ五七夜の十王経」で、人が死んでライ性に受けるあの世の裁判のことを表したもので、」戦乱の字時代に世の無常を自覚した武士が、来世のことを駆を考えて。悟りの境地になるさまを謳ったものである。
死を迎えると、この世で一番良いことをしていた人と一番悪ことをしていた人の両者はすぐに来世の行き先が決まっているが、大半の人は決まっておらず、七日間を一区切りに「中」に浮いておりこれを「中有(ちゅうう)と称し、最初に受ける裁判が諸七日であり、前述した「三十五」は五七日で裁判官は知られる閻魔大王で、その後に六七日、七七日と続くのだが、どんな人物でも四九日目には行き先が決まると言われ「満中陰」と呼ばれているのである。
閻魔大王は言い伝えによると最初に亡くなった人間で、しょなぬく担当の裁判官だったそうだが、すぐに騙されて極楽へ送ってしまうので問題になり、三五日短刀の変わり、情破離の鏡」と言って生前の行いがビデオテープのように映し出され騙されないようになっているそうで、そんなことから閻魔さんにうそを言ったら舌を抜かれると言い伝えられている訳だ。
さて、「七万歩才」について触れておこう。これは所応接内の主人公の仮名出、錦心繍口というように詩文の際の優れた人に「七歩の才」といういわれがあるが、七万歩ならなんとか」というヘリ下りとなっている。
さて「十王」」なら後三回あることになるが、それは仏教では追善供養の対象となる百箇日、一周忌、三回忌となっているが、私の小説では登場人物に全て戒名を付けているのでややこしくなっている。
ご興味があればネット内で読むことが出来るそうなのでご笑覧いただければ幸いです。