2025-12-25
凄かったジャンボさん NO- 10166
個性的で私がファンになっている六角精児さんの番組「呑み鉄本線 日本旅」で「志布志」線を放送していた。「飫肥駅」も登場してめったに行かない路線を観たので興味深かった。
挿入歌も六角精児さんご自身が歌われ、ユニークな詩で心が躍るので楽しいし、醸造元に寄って試飲をされるのが羨ましいが、私は3回も膵炎をやったことから一滴も呑むことが出来ず寂しい限りだ。
朔日のBSで懐かしい映画「駅馬車」を観た。WATASIGA西部劇ファンになった作品で、廃館が流れている道頓堀の松竹座で中学生の2年生の時だったので本当に懐かしかった。母親に無理を言って特別に小遣いを貰い、バルコニーの特別席しか開いていなかったので無理をしたが、当時に3500円は衝撃的レベルだった。
昨日の映画が終わった後の専門家の開設があったが、クレジットではジョン・ウェインがトップではなく、映画の冒頭で町を追い出される娼婦役のダレスがトップで、ギャラもジョン・ウェインの4倍だった。
日本のテレビの茶の間で「さよならさよなら」で知られた淀川長治さんが、この映画のCMを担当されていたことも知ったが、ジョン・フォード監督の名作だろう。
前号で触れた我が夫婦の話し合いだが、妻の要望で白馬のペンションにいる幼子に会いたいという要望に応え、友人を誘って、「特急サンダーバードで金沢に行き、タクシーで東茶屋や兼六園絵お回り、新幹線で胃と井川に行き、でぃぜる者に乗り換えて南小谷出電車の乗り換え、白馬駅まで行ったが、金沢駅でホームと段差が凄くて倒れそうになったり、白馬の御ホテルでチェックインをしてから部屋に向かう際に下っているk裁断手前で躓いて転倒して、多くの外国人に「O-マイガット」と驚かれたことも懐かしいが、骨折をしなかって幸運だった。白馬は大半が外国人だったが、彼らはホテルで食事をすることなく何処かへ出掛けていたので食事処は我々3人だけだったし、大浴場も貸切状態だった。
次の日にペンションから迎えに来てくれた方車で目的地へ行ったが、丁度その幼子が障害者学校へ投稿するところで、妻が話し掛けて手を握ったら強く握り返してくれたそうで、「目が見え中っても私の声を憶えていてくれたみたい」と喜んでいた。
前号で餓えrw氏の温泉で宿泊したことを書いていたが、雲仙の宮崎旅館に宿泊して旅館の送迎バスで長崎駅まで行き、路線バスに乗り換えて嬉野のバスセンターに行き、すぐ目に留まった寿司店に入り、温泉湯豆腐を食べたことを憶えており、その後に入った旅館が友人の御檀家さんで、女将さんの勧めですき焼きを食べたら、換気扇が馬鹿たので大変な環境になっていた。
ゴルフで知られるジャンボ尾崎さんが亡くなられたニュースがあった。私と同年生まれだったが私が彼の食するゴルフ俱楽部に入会していたのでいつも気になっていた。
私がゴルフを始めたのは35歳だったが、妻が友人達と一緒に始め、入会したゴルフ俱楽部が三重県の名松ゴルフ俱楽部で、はじめtれくるまででかけたときのことをおぼえている。
レギュラーティに立って、フェアウェイを観ると各ホールに2本の旗が立っている。キャディーさんの話で知ったのは、それはオープン記念に訪れら有れた尾崎兄弟のティーショットが落ちた場所で、フルバックから打たれてあそこまで飛ぶのと衝撃的な飛距離だった。
このゴルフ場へは近鉄特急で榊原温泉口駅からマイクロバスが出ており、妻は友人達とよく行ってっていたが、懐かしく思い出しながら寂しい思いを抱いている。
ジャンボ選手が苦手なコースと言われていた広島八本松コースだが、車と新幹線組の2組で行ったことがあるが、想像以上の難コースだった。私は新幹線組で日帰りだったが、ご一緒した人物が3人も亡くなられてしまい寂しい限り。お一人の葬儀で「お別れの言葉」を捧げたこともある。